ショパンのワルツを弾いてみたい、あるいは聴いてみたいと思ったとき、最初に浮かぶのは「小犬のワルツ」ではないでしょうか。テレビやCMで耳にする機会が多く、題名と旋律が結びつきやすい曲です。ところが、ショパン愛好家が集まるサイトの人気投票を見ると、1位に立っているのは別の曲です。
結論から言うと、愛好家の投票で1位になっているのはワルツ嬰ハ短調Op.64-2で、小犬のワルツ(Op.64-1)は7位です。「有名な曲」と「好きな人が多い曲」は一致しないことがあり、その差を知っておくと、曲選びで遠回りをしにくくなります。
この記事では、投票結果の数字を読み解いたうえで、上位の曲がなぜ支持されるのかを、調性・形式・装飾音といった音楽の仕組みから説明します。あわせて、ワルツという舞曲の歴史、作品数が資料によって違う理由、難易度表記と楽譜の選び方まで、読者が自分で判断できる材料をそろえました。
・愛好家124人の人気投票で上位に入ったワルツと、その得票の読み方
・小犬のワルツが「知名度1位・投票7位」になる理由
・嬰ハ短調Op.64-2が支持される構造上の理由と、ショパン流の装飾音の仕組み
・ヘンレ社の難易度表記をもとにした、目的別のワルツの選び方
ショパンワルツで人気の曲はどれ?愛好家124人の投票が示す順位

1位は嬰ハ短調Op.64-2、431票という数字の読み方
人気投票の1位は、ワルツ第7番嬰ハ短調Op.64-2です。ショパン愛好家向けサイト「ショパニスト」が公開している人気投票アンケート集計結果(主要ワルツ全14曲)では、投票者124人に対してこの曲が431票を集めています。集計ページ自体も、この曲が圧倒的な人気を集めていると結論づけています。
ここで注意したいのは、得票数が投票者数を大きく上回っている点です。つまり得票数は「何人が選んだか」をそのまま表す数字ではなく、集計方式に沿った相対的な値として読むのが正確です。431票を「124人のうち431人」と読むと意味が通らなくなります。曲どうしの差を比べる物差しとして使うのが、この数字の正しい使い方です。
その物差しで見ると、2位のOp.34-1が281票なので、1位との差は150票あります。3位以下とも大きく開いており、「ショパンのワルツで一番好きな曲」を愛好家に尋ねると、嬰ハ短調に票が集中する傾向がはっきり出ています。
ただし、対象は「主要ワルツ全14曲」で、ワルツのすべてではありません。また愛好家サイトの投票なので、回答者はショパンをある程度聴き込んでいる層に偏っていると考えるのが自然です。「一般の知名度」ではなく「聴き込んだ人の支持」を示すデータとして受け取ってください。
2位Op.34-1と3位Op.69-2は「聴き込むほど好きになる」側の曲
2位はワルツ第2番変イ長調Op.34-1で281票、3位はロ短調Op.69-2で265票です。どちらも、クラシックに詳しくない人が題名だけで思い浮かべる曲ではありません。それでも上位に入るのは、聴き込むほど細部の良さが見えてくるタイプの曲だからです。
Op.34-1は1835年、ショパンが25才のときの作品で、「3つの華麗なる円舞曲」の第1番にあたります。題名どおり華やかで、装飾音の処理、滑らかなレガート、左手の伴奏とのバランスが聴きどころです。長調の明るさがありながら、軽薄にならない品のよさがあります。
一方のOp.69-2は、作品番号Op.69がショパンの死後に出版された作品群にあたる曲です。ロ短調は♯2つの調で、1位の嬰ハ短調と同じく短調の憂いを持っています。短調の曲が1位と3位に入っている事実は、ショパンのワルツが「踊りの伴奏」ではなく、感情の陰影を聴かせる音楽として愛されていることを示しています。
曲選びでつまずきやすいのは、「上位の曲はすべて同じくらいの難しさ」と思い込むことです。人気の順位と弾きやすさは別の軸なので、候補を絞ったら必ず難易度表記も確認しておきましょう。
小犬のワルツが7位にとどまるのはなぜか
一般に「ショパンのワルツといえば」と聞かれて真っ先に挙がる小犬のワルツ(第6番変ニ長調Op.64-1)は、この投票では7位・197票です。知名度と得票が一致しないのには、はっきりした理由があります。
理由の1つめは、回答者層です。愛好家はすでに小犬のワルツを何度も聴いているため、「知っている曲」ではなく「繰り返し聴きたい曲」を選びます。軽快で明るい曲は最初の印象が強い反面、聴き込むほど味わいが増す曲に票が流れやすくなります。
理由の2つめは、同じOp.64のなかに1位の嬰ハ短調があることです。Op.64の3曲は1846〜1847年に作曲され、1847年にまとめて出版されました。同時期に書かれた兄弟のような2曲のうち、愛好家の支持は短調の第2番に集まったわけです。
だからといって、小犬のワルツの価値が低いわけではありません。題名とエピソードで広く知られ、発表会の曲として取り上げられることも多い曲です。「人に聴いてもらう場で伝わりやすい曲」と「自分が長く弾き込みたい曲」は別の基準で選んでよい、というのがこの順位から読み取れる実用的な結論です。
人気ランキングを曲選びに使うときの見極め方
人気ランキングは「どの曲から聴けばよいか」の入口としては便利ですが、そのまま「どの曲を練習すればよいか」の答えにはなりません。順位を曲選びに使う前に、確認しておきたい点が3つあります。
1つめは、調号の数です。1位の嬰ハ短調は♯4つ、7位の変ニ長調は♭5つ、2位の変イ長調は♭4つと、上位曲はどれも臨時記号の多い調で書かれています。調号が多いと譜読みに時間がかかるため、弾く側の負担は順位からは見えません。
2つめは、難易度の公式表記です。ドイツの楽譜出版社G.ヘンレ社の難易度表記では、ショパンのワルツはレベル3〜7に分布し、主な人気曲は中級にあたるレベル6に並びます。数字の出典を持った表記で、自分の現在地と比べてください。
3つめは、自分が何のために弾くかです。人前で弾くのか、自宅で楽しむのかで、選ぶべき曲は変わります。下の表に上位4曲の基本情報をまとめたので、候補を並べる際の土台にしてください。
| 投票順位 | 曲名・作品番号 | 得票 | 作曲年 | ヘンレ社の難易度 |
|---|---|---|---|---|
| 1位 | 第7番 嬰ハ短調 Op.64-2 | 431票 | 1846〜1847年 | 6(中級) |
| 2位 | 第2番 変イ長調 Op.34-1 | 281票 | 1835年 | 6(中級) |
| 3位 | ロ短調 Op.69-2 | 265票 | — | — |
| 7位 | 第6番 変ニ長調 Op.64-1「小犬のワルツ」 | 197票 | 1846〜1847年 | 6(中級) |
投票順位・得票はショパニストの人気投票(主要ワルツ全14曲・投票者124人)、作曲年はfchopin.net等による。「—」は当サイトで出典を確認できなかった項目。
そもそも何曲ある?「全19曲」と「28曲」が並んで見える理由
生前に出版されたのは8曲、残り20曲は遺作や後の出版
ショパンのワルツは「全19曲」と紹介されることが多い一方で、ショパン作品の一覧サイトfchopin.netは「ワルツ全28曲」として整理しています。数が食い違って見えるのは、どこまでを「ワルツ」として数えるかの基準が資料によって違うからです。
28曲の内訳を見ると、ショパンが生きているうちに出版されたのは8曲だけです。Op.18、Op.34の3曲、Op.42、Op.64の3曲がそれにあたります。残る20曲はOp.69やOp.70などの死後に出版された作品や、作品番号のない遺作を含みます。
なぜこれほど差があるのかというと、生前に出版した8曲は、ショパン自身が「世に出してよい」と判断した作品だからです。遺作には若い頃の習作や、知人のために書いて手元に残っていた曲が含まれ、完成度や性格にばらつきがあります。番号つきで広く流通している曲に加え、断片的な作品や新たに確認された作品まで数えるかどうかで、全体の数が変わるわけです。
曲を探すときは、「全○曲」という数に振り回される必要はありません。大切なのは、生前出版か遺作かという区別です。生前出版の8曲はショパンが自ら完成形として送り出したもの、という前提を知っておくと、曲の位置づけが見えやすくなります。
作品番号(Op.)=ラテン語のOpus(作品)の略。出版の際につけられた番号で、「Op.64-2」なら作品64としてまとめて出版された曲のうち2曲目を指す。
遺作=作曲者の死後に出版された作品。ショパンのワルツではOp.69やOp.70がこれにあたる。作品番号がつかない遺作もある。
1831年から1849年まで、作曲時期が生涯の後半に広がる
ワルツの作曲年代は1831年から1849年にわたります。ショパンの生没年は1810年から1849年なので、ワルツは20代初めから亡くなる年まで、生涯の後半を通して書き続けられたジャンルだったことになります。
これが曲選びで意味を持つのは、同じ「ワルツ」でも時期によって書法が違うからです。表で見たとおり、2位のOp.34-1は1835年、25才の作品で、「華麗なる円舞曲」の名のとおり外向きの華やかさがあります。これに対して1位のOp.64-2は1846〜1847年、36〜37才の作品で、内省的な表情が前に出ています。
聴き比べると違いがわかりやすくなります。若い時期のワルツは、サロンで人を楽しませる明るさがあり、旋律がはっきり前に出ます。晩年のワルツは、同じ3拍子を使いながら、和声の移ろいや旋律のため息のような動きに重心が移ります。
独学で弾く人がやりがちなのは、時期の違いを意識せず、どの曲も同じテンポ感・同じ明るさで弾いてしまうことです。作曲年を確認するだけで、「この曲は外向きに華やかに」「この曲は内側に歌うように」という方向づけができます。楽譜を開く前に、まず作曲年と作品番号を確認する習慣をつけておきましょう。
番号で楽譜を探すと別の曲に当たることがある
ワルツの楽譜を探すときにいちばん多いつまずきが、「第○番」だけを頼りに探して、目的とは違う曲の楽譜を手にしてしまうことです。原因は、番号の数え方が資料によってそろっていないことにあります。
前の見出しで触れたとおり、19曲として数える資料と28曲として数える資料があります。番号つきで広く通用している曲はおおむね共通していますが、遺作の扱いや並べ方は資料によって違いが出ます。題名の「第○番」だけで検索すると、手元の資料と楽譜の番号が食い違う可能性が残ります。
確実なのは、作品番号と調をセットで確認することです。たとえば「Op.64-2 嬰ハ短調」と指定すれば、どの出版社の楽譜でも同じ曲にたどり着きます。作品番号のない遺作の場合は、調と作曲年、出版社の目録に記載された曲名で照合してください。
見極めのコツは、楽譜の商品ページで収録曲の作品番号と調が明記されているかを見ることです。明記されていない場合は、出版社の公式ページで収録曲一覧を確認してから購入しましょう。これだけで「買ったのに目当ての曲が入っていない」という失敗はほぼ防げます。
【失敗パターン1】「ワルツ第○番」だけで楽譜を探し、違う曲の楽譜を買ってしまう。原因は、資料によって全19曲・全28曲と数え方が違い、遺作の番号づけがそろっていないこと。対策は、作品番号(Op.)と調をセットで指定すること。遺作は調・作曲年・出版社の曲名で照合します。
1位の嬰ハ短調Op.64-2はなぜこれほど支持されるのか

「長い溜息のような」開始部と、拡大と収縮のバランス
Op.64-2が愛好家に選ばれる理由は、冒頭の数小節で曲の性格がはっきり伝わる点にあります。ピティナ・ピアノ曲事典の作品解説は、この曲の特徴を「長い溜息のような」開始部と優雅な展開、そして全体を貫く「拡大と収縮のバランス」と説明しています。
「拡大と収縮」とは、音楽が広がっていく部分と、内側に引き締まっていく部分が交互に現れることを指します。旋律の音域が広がる場面と、狭い範囲で揺れる場面、音楽が前へ進む場面と、ためらうように立ち止まる場面。その振り子のような動きが、聴き手に呼吸のリズムとして感じられます。
独学で弾く人がつまずきやすいのは、この揺れを「テンポを遅くしたり速くしたりすること」だけで表現しようとする点です。テンポだけを動かすと、3拍子の骨格が崩れてワルツに聞こえなくなります。揺れの源は、旋律の形と和声の緊張と解決にあります。
練習のコツは、まず右手の旋律だけを歌うように弾き、どこで音が上へ伸びていき、どこで収まるのかを楽譜に鉛筆で書き込むことです。旋律の山と谷が見えてから左手を合わせると、テンポを大きく崩さなくても、自然な「溜息」が生まれます。
A-B-C-B-A-Bという回帰構造が、何度も聴きたくなる理由
Op.64-2は、A-B-C-B-A-Bという形式で書かれています。単純な三部形式(ABA)ではなく、B部分が3回戻ってくる構造です。この「何度も帰ってくるB」が、曲の印象を決定づけています。
ファクトとして押さえておきたいのは、この曲では、流れるように動き続けるB部分と、情感的なA部分・C部分が交互に現れるという点です。A部分でため息をつくように歌い、B部分で音楽が止まらずに回り続け、C部分で表情が変わり、またBに戻る。性格の違う部分が交互に並ぶことで、聴き手は緊張と解放を繰り返し味わいます。
なぜ回帰構造が好まれるのかというと、人は一度聴いた旋律が戻ってくると「知っている場所に帰ってきた」という安心を感じるからです。B部分が3回登場するため、1回聴いただけでも耳に残り、次に聴くときはBが来るのを待つ楽しみが生まれます。愛好家の支持が集まる背景には、この設計があります。
練習で注意したいのは、3回出てくるBを毎回同じ表情で弾いてしまうことです。前後の文脈が違えば、同じ旋律でも響き方は変わります。最初のBは提示として、2回目は対比の後の帰還として、最後は結びとして、音量や流れ方を少しずつ変えてみてください。
| 分類・形式 | ピアノ独奏のワルツ/A-B-C-B-A-B形式 |
| 作曲・出版 | 1846〜1847年作曲(ショパン36〜37才)、1847年出版 |
| 難易度・級の表記 | G.ヘンレ社の難易度表記で6(中級) |
| 献呈 | シャルロット・ロートシルト男爵夫人(ショパンのピアノの生徒) |
| 向いている人・用途 | 中級に入った学習者、ショパンの晩年の書法に触れたい人、テンポの揺らし方を学びたい人 |
♯4つの嬰ハ短調は「鍵盤の地図」で読む
嬰ハ短調は、調号に♯が4つつく調です。ファ・ド・ソ・レに♯がつき、主音はド♯。楽譜を開いた瞬間に♯の多さで身構える人が多いのですが、仕組みを知ると負担は減らせます。
理屈はこうです。嬰ハ短調の平行調(調号が同じ長調)はホ長調です。つまり、使う鍵盤の組み合わせはホ長調と同じで、中心になる音がド♯に移っただけです。ホ長調の音階を一度弾いてみれば、「この曲で使う黒鍵はどれか」が手の感覚として入ります。
独学でやりがちなのは、音符を1つずつ「これは♯がつくから…」と頭で変換しながら読むことです。この読み方だと、4つの♯を毎回処理することになり、譜読みが進みません。さらに曲中で臨時記号が加わると、どれが調号でどれが臨時記号なのか混乱します。
コツは、譜読みの前に嬰ハ短調の音階と主和音(ド♯・ミ・ソ♯)を数回弾き、手の位置を先に覚えてしまうことです。「この曲では白鍵のファとドとソとレは基本的に弾かない」と体で理解してから楽譜に向かうと、臨時記号だけに注意を向ければよくなります。

楽譜を開いたら、調号にシャープが1つだけ付いている。「ト長調だな」と思って弾き始めたのに、どうにも明るく聞こえない。最後の音もソではなくミで終わっている——。こ…
献呈先はショパンのピアノの生徒だったロートシルト男爵夫人
Op.64-2は、シャルロット・ロートシルト男爵夫人に献呈されています。ピティナ・ピアノ曲事典によれば、彼女はジェームス・ド・ロートシルド男爵の娘で、ショパンのピアノの生徒でした。
献呈先の事実は、曲の性格を考える手がかりになります。生徒に贈った曲である以上、大ホールで大勢に聴かせるための派手な技巧曲ではなく、弾き手が自分の手で味わうことを想定した音楽だと考えるのが自然です。実際、この曲の聴きどころは速さや音量ではなく、旋律の陰影と揺れにあります。
ここで注意したいのは、献呈先の情報から「だから簡単な曲だ」と短絡しないことです。ヘンレ社の表記は6で、中級の難しさがあります。生徒向けであっても、ショパンの生徒は相応に弾ける人たちでした。
曲の背景を知ると、表現の方向が定まりやすくなります。「誰かに見せるため」ではなく「自分で弾いて味わうため」の音楽と捉えると、音量を上げて押し出すより、音色の変化で語る弾き方が合っているとわかります。発表会で弾く場合も、この内向きの性格を大切にしたほうが、曲の良さが伝わります。
「小犬のワルツ」はなぜ誰もが知る曲になったのか
仔犬マルキのエピソードは「伝えられている話」として楽しむ
小犬のワルツ(第6番変ニ長調Op.64-1)の名前の由来として有名なのが、ジョルジュ・サンドの飼っていたマルキという名の仔犬が、自分の尻尾を追いかけてぐるぐると回る様子を見て作曲した、というエピソードです。ノアンで飼っていた子犬の動きを見て書かれたという話から、この通称がつけられたと伝えられています。
このエピソードは曲の聴き方に影響を与えています。冒頭から繰り返し回るような右手の音型は、たしかに尻尾を追いかけて回る動きを思わせます。題名と旋律の形が結びつくため、一度聞けば覚えやすく、知名度の高さにつながっています。
ただし、「小犬のワルツ」はショパン自身がつけた題名ではなく、エピソードから生まれた通称です。作曲の経緯を示す話として広く伝えられているものの、あくまで「そう伝えられている」話として受け取っておくのが正確です。
弾く側にとってこの話が役立つのは、音型の性格をつかむ手がかりになる点です。回る音型を「速く回す技術」として捉えるより、「軽く、くるくると回る動き」としてイメージすると、力の入れ方が変わります。題名のイメージは、テンポではなく質感をつかむために使うのがおすすめです。
♭5つの変ニ長調で指が黒鍵に乗る理由
小犬のワルツは変ニ長調で書かれています。調号は♭5つで、シ・ミ・ラ・レ・ソに♭がつきます。鍵盤で言えば黒鍵5つをすべて使う調です。
意外に思われるかもしれませんが、黒鍵を多く使う調は、手の形として弾きやすい面があります。黒鍵は白鍵より奥にあって高さもあるため、指の長い2・3・4指が黒鍵に、短い親指が白鍵に来ると、手が自然なアーチを保てます。回る音型を軽く弾くには、この手の形が役立ちます。
ここで押さえておきたい、意外と知られていない点があります。1位の嬰ハ短調Op.64-2と、この変ニ長調Op.64-1は、楽譜上は♯4つと♭5つでまったく違う調に見えますが、主音のド♯とレ♭は鍵盤では同じ鍵を指します。同じ作品番号に収められた2曲は、同じ鍵を中心に、短調と長調として書き分けられているわけです。
練習では、黒鍵の多さに身構える前に、変ニ長調の音階を弾いて手に覚え込ませるのが近道です。「白鍵のシ・ミ・ラ・レ・ソは基本的に使わない」とわかっていれば、譜読みの負担は大きく減ります。

楽譜に♯や♭が出てきた瞬間、指が止まってしまう。ドの♯は右の黒鍵、レの♭も同じ黒鍵。同じ鍵盤なのに名前が2つあるのはなぜなのか。そもそも五線の左端にまとまって並…
難所は「速さ」ではなく「軽さ」にある
小犬のワルツは速い曲という印象が強いため、練習の目標を「速く弾くこと」に置いてしまう人が少なくありません。しかし、この曲で求められているのは、装飾音の美しい処理、滑らかなレガート、そして左手の伴奏との絶妙なバランスです。ヘンレ社の表記は6で、中級の曲です。
なぜ速さを目標にするとうまくいかないのかというと、テンポを上げようとすると指に力が入り、回る音型が重くなるからです。重くなった音型は均等に並ばず、転ぶように聞こえます。さらに右手に意識が集中すると、左手の伴奏が大きくなりがちで、旋律がかき消されてしまいます。
典型的な失敗は、メトロノームのテンポを少しずつ上げる練習だけを続け、ある速さで急に弾けなくなる状態です。原因は、軽さの土台ができていないまま速度だけを上げたことにあります。
見極めの目安は、ゆっくりのテンポでも音型が「軽く回っている」と感じられるかどうかです。遅い速度で力まずに均等に弾けて、はじめてテンポを上げる意味が出てきます。音量を控えめにして弾いたときに音がそろっていれば、土台はできています。
【失敗パターン2】小犬のワルツをテンポ優先で練習し、回る音型が転び、左手の伴奏が旋律をかき消してしまう。原因は、指に力が入ったまま速度だけを上げていること。対策は、音量を落としたゆっくりのテンポで、右手の均等さと左手の控えめな音量を先に作ること。軽さができてからテンポを上げます。
ショパンのワルツは踊るための曲ではない——舞曲の歴史と形式
1814年のウィーン会議を機にワルツはヨーロッパへ広まった
ワルツが国際的な場に初めて登場したのは、1814年のウィーン会議でのことです。音楽之友社のWebマガジン「ONTOMO」の解説によれば、「会議は踊る、されど進まず」で知られるこの会議を機に、ワルツはウィンナ・ワルツとして世界中に広まり、社交界で大流行しました。
なぜ会議がきっかけになったのかというと、ヨーロッパ各国の要人がウィーンに長く滞在し、毎晩のように舞踏会が開かれたからです。そこで踊られたワルツが、帰国する人々とともに各地へ持ち帰られました。ワルツは4分の3拍子の舞曲で、男女が組んで回りながら踊るのが特徴です。
ショパンが生まれたのは1810年です。つまりショパンは、ワルツがヨーロッパ中で流行している時代に育ち、作曲家として活動しました。ワルツは聴衆にとってなじみのある音楽であり、だからこそショパンは、その形を借りながら独自の表現を試みることができたのです。
曲を理解するうえで大切なのは、この時代背景を知ったうえで、ショパンのワルツを「流行のダンス音楽そのもの」として捉えないことです。ショパンが同じ3拍子を使って何をしたのかは、次の見出しで見ていきます。
ランナーが完成させたウィンナ・ワルツの型と、ショパンの違い
ウィンナ・ワルツの形式を完成させたのは、ヨーゼフ・ランナーです。序奏のあとに魅力的な旋律を聴かせる5つのワルツを組み合わせ、最後にコーダをつけるというスタイルが確立されました。舞踏会で長く踊り続けるための、実用的な設計です。
ショパンはこの流れとは別の道を選びました。ウィンナ・ワルツを嫌いながらも3拍子には心を動かされ、自ら踊るためではない芸術的なワルツと位置づけたピアノ曲を書いたとされています。ピアノ独奏で聴かせる小品としてのワルツは、その後ロマン派のピアノ文学に深く根づきました。
違いを整理すると、ウィンナ・ワルツは「踊り手が一定のテンポで回り続けられること」が最優先です。一方ショパンのワルツは、テンポが揺れても、途中で表情が大きく変わってもかまいません。むしろ、その揺れこそが聴かせどころになっています。
弾く側がつまずきやすいのは、ワルツと聞いて一定のテンポで機械的に3拍子を刻んでしまうことです。ショパンのワルツは、踊りの伴奏としての正確さより、歌としての自然さが求められます。両者の違いを下の表で確認しておきましょう。
| 項目 | ウィンナ・ワルツ | ショパンのワルツ |
|---|---|---|
| 目的 | 舞踏会で踊るための音楽 | 踊るためではない、ピアノで聴かせる芸術的な小品 |
| 形式 | 序奏+5つのワルツ+コーダ(ランナーが完成) | ABA形式や、A-B-C-B-A-Bのような回帰形式 |
| 拍子とテンポ | 4分の3拍子、踊りやすい一定の流れ | 4分の3拍子、表情に応じてテンポが揺れる |
| 編成 | オーケストラなどによる舞踏会の音楽 | ピアノ独奏 |
出典:ワルツ(Wikipedia)、ONTOMOの記述をもとに整理
左手の「ズンチャッチャ」をショパンはどう使ったか
ワルツの左手伴奏の基本は、1拍目に低いバス音、2拍目と3拍目に和音を置く「ズンチャッチャ」の型です。英語ではoom-pah-pahと表現されます。4分の3拍子の1拍目を支え、残り2拍で和声を響かせる仕組みです。
この型が便利なのは、1小節の中で「低音→和音→和音」と役割が分かれているため、少ない音で拍子と和声を同時に伝えられる点です。踊り手は1拍目の低音で足を踏み出し、2・3拍目で回転する、という身体の動きと結びついています。
ショパンのワルツでも、左手の基本はこの型です。ただし、ショパンは右手の旋律を歌わせることに重心を置いているため、左手はあくまで支え役に回ります。左手の和音を強く叩くと、ダンス音楽らしさは出ても、ショパンの歌う旋律が埋もれてしまいます。
典型的な失敗は、左手の2・3拍目の和音が右手の旋律と同じ音量になってしまうことです。原因は、和音を押さえる指の数が多いぶん音が厚くなりやすい点にあります。練習では左手だけを弾き、1拍目のバスをはっきり、2・3拍目の和音を軽く添える音量差を作ってから右手と合わせてください。

聴き映えを決めるのは装飾音——ショパン流の「歌わせ方」の仕組み
装飾音は拍の頭と同時に始める
ショパンのワルツでは、旋律に小さな音符の装飾音が頻繁に現れます。ショパン作品の解説サイトfchopin.netの装飾音の解説によれば、旋律の装飾音は拍と同時に始めることで、テンポを安定させながら歌うような流れを作るとされています。
なぜ拍と同時なのかというと、装飾音を拍より前に出すと、主要な音の位置がずれ、3拍子の骨格が揺らぐからです。装飾音を拍の頭に置けば、左手のバスと装飾音が同時に鳴り、拍の位置ははっきり保たれます。そのうえで、装飾音から主音へ移る時間が旋律に柔らかさを与えます。短い前打音を拍と同時に弾くことで、主音の当たりがやわらぐ効果も生まれます。
独学で起きやすいのは、装飾音を「前に置く飾り」と考え、拍の直前に素早く入れてしまうことです。こうすると左手と右手のタイミングが毎回ずれ、ワルツの足取りが不安定になります。
確認の方法は簡単です。装飾音のある箇所で、左手のバスと装飾音の最初の音が同時に鳴っているかを、ゆっくり弾いて耳で確かめてください。同時に鳴っていれば拍の骨格は保たれています。これができてから、装飾音の速さや音量を整えていきましょう。
階段状に上がる装飾音で、音域の移動をなめらかにする
ショパンは、装飾音を階段状の上昇を作るために配置していた、と同じくfchopin.netは解説しています。装飾音で段階的に音を上げることで、気品のある上昇の効果を生み、聴き手を音域の変化へなめらかに導くという仕組みです。
理屈はこうです。旋律が離れた音へいきなり跳ぶと、聴き手には段差として聞こえます。その間に装飾音を置いて段階的に上がれば、跳躍が「なめらかな上り坂」に変わります。旋律は上昇してから下降するという自然な輪郭を持ち、歌い手が高い音へ向かうときのような息づかいが生まれます。
ここで、意外と知られていない視点を1つ紹介します。実は、ピアノは鍵盤を叩いたあとに音を大きくすることができない楽器です。声やヴァイオリンのように、1つの音を伸ばしながら膨らませることはできません。ショパンの装飾音は、その弱点を補い、ピアノで「歌っているように聞かせる」ための工夫として働いています。装飾音は飾りではなく、音楽表現の根幹にある要素なのです。
練習では、装飾音を「どこへ向かう音か」で捉えてください。上昇していく装飾音なら、到達点の音に向かって少しずつ音量を上げると、階段の上りが伝わります。
装飾音でテンポが自然に揺れる仕組み
ショパンのワルツでテンポが揺れて聞こえるのは、演奏者が意識的にテンポを崩しているからだけではありません。装飾音そのものが、テンポの伸び縮みを生む仕組みになっています。
fchopin.netの整理によれば、複雑な経過音が自然な遅れを生み、その後に続く加速する音の動きが元のテンポを取り戻させます。音の多い装飾を弾けばそこでわずかに時間がかかり、その後の音で遅れを取り戻す。この繰り返しが、聴き手には「呼吸するような揺れ」として感じられます。
つまずきやすいのは、装飾音の時間をすべて正確に割り振ろうとして、揺れのない機械的な演奏になることです。反対に、揺れを出そうとして装飾音のたびに大きく遅くなり、戻らないまま曲が重くなるのも典型的な失敗です。
見極めの目安は、揺れたあと必ず元のテンポへ戻っているかどうかです。左手のバスの1拍目が、数小節単位で見ると規則正しく並んでいれば、揺れは「呼吸」として機能しています。下の手順で、骨格から装飾を積み上げていくと、揺れと安定を両立させやすくなります。
ショパンの装飾音は「拍の頭と同時に始める」「階段状に上がって音域をつなぐ」「遅れと取り戻しでテンポを呼吸させる」の3つで働きます。いずれも、打鍵後に音を膨らませられないピアノで旋律を歌わせるための仕組みです。
人気曲から何を選ぶ?レベルと目的で考えるショパンワルツの選び方
ヘンレ社の表記では人気上位の3曲がレベル6に並ぶ
曲選びの出発点にしたいのが、ドイツの楽譜出版社G.ヘンレ社の難易度表記です。ヘンレ社の表記では、数字が大きいほど難しい曲を示し、ショパンのワルツはレベル3〜7の範囲に分布しています。ほとんどが中級にあたる6です。
人気投票の上位で見ると、1位のOp.64-2、2位のOp.34-1、7位の小犬のワルツOp.64-1は、いずれもレベル6です。つまり、愛好家に支持される曲も、一般に知られた曲も、公式の表記上は同じ難易度帯に入っています。
ここで注意したいのは、同じレベル6でも、難しさの中身が違うことです。小犬のワルツは指の軽さと均等さ、Op.64-2は旋律の歌い方とテンポの揺らし方、Op.34-1は華やかな装飾と伴奏のバランスが課題になります。数字が同じでも、自分の得意・不得意によって体感の難しさは変わります。
見極めのコツは、公式表記で候補を絞ったあと、各曲の課題が自分の練習目的に合っているかを確認することです。ワルツ全体の難易度を資料ごとに比べたい場合は、下の記事で詳しく整理しています。

ショパンのワルツを弾いてみたい。けれど「どの曲から手をつければいいのか」が分からない——そう思って難易度表を検索すると、かえって迷子になります。ある資料は華麗な…
読者タイプ別:最初の1曲の選び方
同じ人気曲でも、誰がどんな目的で弾くかによって、最初の1曲は変わります。ここでは読者のタイプ別に、選び方の考え方を整理します。
大人になってピアノを再開した人は、まず聴いて好きになれる曲を選ぶのが、練習を続けるうえで合理的です。ショパンのワルツはレベル6が中心なので、現在の自分の力と比べて離れすぎていないかを確認してください。レベル6に届いていない場合は、ワルツのなかでも表記の低い曲から入る選択肢があります。
子どもの発表会の曲を考えている保護者は、聴き手に伝わりやすいかどうかも判断材料になります。小犬のワルツは題名とエピソードで知られ、会場の聴き手になじみがあります。一方、曲の選定は子どもの現在の進度を見ている指導者と相談するのが確実です。
弾くより聴くことが中心の人は、人気投票の順位をそのまま聴く順番に使えます。1位のOp.64-2と7位の小犬のワルツは同じ作品番号の兄弟曲なので、2曲続けて聴くと、短調と長調の書き分けがよくわかります。
どのタイプでも共通するのは、「有名だから」だけで選ばないことです。好きな曲であるか、今の力に合っているかの2点を確認しておけば、途中で挫折する確率を下げられます。
発表会やグレード試験で弾くときは、その年度の要項を確認する
ショパンのワルツは、発表会やコンクール、グレード試験の曲として候補に挙がることが多い作品群です。ただし、試験やコンクールで使えるかどうか、どの級に該当するかは、主催者の要項によって決まります。
なぜ確認が必要なのかというと、課題曲や自由曲の条件、演奏時間の制限、繰り返しの扱いなどは、主催者ごと・年度ごとに設定されるからです。同じワルツでも、ある年度は課題曲として指定され、別の年度は自由曲の枠でしか弾けない、ということが起こり得ます。
典型的なつまずきは、前年度の情報や他人の体験談をもとに曲を決めてしまい、応募の段階で条件に合わないと気づくことです。準備期間が長い曲ほど、後から変更すると負担が大きくなります。
対策として、曲を決める前に、主催者の公式サイトで該当年度の要項を確認してください。演奏時間の上限がある場合は、繰り返しの扱いやカットの可否も合わせて確認しておくと安心です。コンクールの仕組みや級区分の考え方を整理したい場合は、主催者ごとの設計の違いを比べてから選ぶと、自分に合った場を見つけやすくなります。
楽譜は作品番号と版の違いを確かめて、公式販売元から
弾く曲が決まったら、楽譜の入手です。ショパンのワルツは複数の出版社から楽譜が出ており、同じ曲でも版によって指使いや強弱記号、装飾音の書き方が異なることがあります。
違いが生まれる理由は、ショパンの自筆譜や初版に複数の異なる資料が残っており、どれを基準にするかで校訂の判断が分かれるからです。どの版が正しいというより、校訂の方針が違うと考えてください。版ごとの校訂の考え方は、楽譜の前書きや解説で確認できます。
独学でやりがちなのは、インターネット上の出所不明な譜面や、個人が作成した画像をそのまま使ってしまうことです。音や記号の誤りに気づけないまま練習を重ねると、後から直すのに時間がかかります。
楽譜は、出版社の公式ページや、ぷりんと楽譜などの公式販売元から入手してください。前述のとおり、作品番号と調が明記されているかを必ず確認します。1曲だけ弾きたいなら1曲単位で買える販売元、複数のワルツに取り組みたいならワルツ集を選ぶと、目的に合った買い方ができます。
まとめ:ショパンワルツの人気曲は「知名度」と「支持」の2つの物差しで選ぶ
人気の順位は、曲を知る入口として役立ちますが、弾く曲を決める最終的な答えではありません。最初の一歩として、Op.64-1とOp.64-2を続けて聴き、同じ鍵を主音にした長調と短調の違いを耳で確かめてみてください。そのうえで、自分が長く弾き込みたいほうの楽譜を、作品番号と調を確認して手に入れるのがおすすめです。
※最新情報は公式サイトでご確認ください。

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