テレビのBGM、フィギュアスケートの演技、スマートフォンの着信音。名前は知らないのに、出だしだけは口ずさめる曲があります。調べてみると、その多くは200年以上前に書かれた「古い曲」です。では、古い曲で有名なものを自分で弾こうと思ったとき、どこから手をつければいいのでしょうか。
結論から書きます。古い曲は「作曲年順」ではなく「難易度表記順」で並べ直すと、弾く順番が決まります。作曲された順番と、指にかかる負担の順番は一致しません。1722年のバッハのほうが、1810年のベートーヴェンより易しいことも、その逆もあります。知名度と難易度がずれているせいで、有名曲を選んだのに途中で止まる、という事故が起きます。
この記事では、バロック期のバッハから後期ロマン派のラフマニノフまで、名前を聞けば「ああ、あの曲」となる11曲を取り上げます。作曲年・調性・作品番号・難易度表記・演奏時間を一次資料ベースで並べ、時代ごとに何が変わったのか、どの曲でどこにつまずくのかを、構造の側から説明していきます。
・有名な古い曲が集中している三つの時代(バロック・古典派・ロマン派)の区切りと特徴
・「エリーゼのために」「月の光」など、知名度と難易度がずれている曲の正体
・11曲を難易度表記・演奏時間で並べた一覧表(ピアノと音楽の教科書調べ)
・出版社によって難易度の物差しが違う理由と、弾く順番の決め方
古い曲で有名なピアノ曲は、1722年から1892年までの三つの時代に並ぶ

有名な古い曲は、音楽史のうえで均等に散らばっているわけではありません。ピアノ独奏で今も繰り返し弾かれる曲は、バロック期の終わりごろから後期ロマン派までの限られた時間帯に固まっています。まずはこの地図を頭に入れておくと、曲名を聞いたときに「だいたいこのあたりの時代の書き方だな」と見当がつくようになります。
「古い曲」の起点はどこか:三つの時代の区切り方
この記事で扱う範囲の出発点は、バッハの「プレリュード」BWV846が属する平均律クラヴィーア曲集第1集で、完成は1722年です。ここがバロック期。次に古典派で、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番K.331が1783年、ベートーヴェンの「悲愴」Op.13が1797年頃の完成です。そしてロマン派に入ると、ショパンの「ノクターン」Op.9-2が1830年~31年、リストの「ラ・カンパネラ」の最初の版が1831年~1832年と続き、後期にはラフマニノフの「鐘」Op.3-2が1892年、ドビュッシーの「月の光」が1890年に書かれています。
区切りが重要なのは、時代ごとに「楽器」と「書き方」が違うからです。バロック期の鍵盤楽器は今のピアノとは発音の仕組みが異なり、鍵盤のタッチで音量を細かく変える発想がまだ前提になっていません。古典派では形式(ソナタ形式や変奏曲)が骨格として強く働き、ロマン派になると形式より個人の表現が前に出ます。同じ「有名な古い曲」でも、この差が譜面の見た目と練習の難所を変えます。
独学でありがちなのが、時代の区別をせずに難易度だけで曲を混ぜてしまうことです。バロックとロマン派を同時に譜読みすると、ペダルの使い方も指の運び方も方針が真逆になり、どちらも中途半端に止まります。時代をそろえて数曲続けるほうが、結果的に早く仕上がります。
バロック期の代表格は、アルペッジョだけでできた1722年の曲
バロック期でもっとも耳になじみがあるのが、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1集第1番のプレリュード(BWV846、ハ長調)です。ピティナ・ピアノ曲事典によれば、平均律クラヴィーア曲集は第1巻(BWV846〜869)が1722年、第2巻(BWV870〜893)が1742年に完成し、それぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガで構成されています。
このプレリュードが特別なのは、アルペッジョだけで構成される単純かつ優美な作品である点です。旋律らしい旋律が書かれておらず、和音を分解した音形が最初から最後まで続きます。だから譜面はやさしく見えます。難易度表記も初級~初中級で、演奏時間は約2分10秒。実際、初級~中級向けの教本にも収録されています。
ただし「弾ける」と「音楽になる」の距離が大きい曲でもあります。音形が一定だからこそ、和音が変わる瞬間の響きの違いが全部聞こえてしまう。同じ形を繰り返すだけの練習に終始すると、和声の変化に気づかないまま最後まで到達してしまいます。譜読みの段階で、各小節の和音を左手の最低音から読み上げて確認しておくと、後から音楽が立ち上がります。
古典派の顔は、モーツァルトとベートーヴェンで役割が違う
古典派で有名な古い曲といえば、モーツァルトの「トルコ行進曲」(ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331の第3楽章、1783年)と、ベートーヴェンの「悲愴」「月光」「エリーゼのために」です。同じ古典派でも、この二人は聴き手に与える印象がはっきり違います。
モーツァルトのK.331は、第1楽章がテーマと変奏(6/8拍子)、第2楽章がメヌエット(3/4拍子)、第3楽章がトルコ行進曲(2/4拍子)という構成で、初版は1784年にArtariaから出ています。全体として形式が明快で、音の数も多すぎません。いっぽうベートーヴェンは、「悲愴」の第1楽章に置かれたGraveの緩徐序奏のように、形式の枠を内側から押し広げる書き方をします。
この違いは練習方針にも表れます。モーツァルトは「音を均等に、拍を崩さずに」が課題になりやすく、ベートーヴェンは「どこで時間を伸ばし、どこで畳みかけるか」が課題になります。同じ古典派だからと同じ弾き方を持ち込むと、モーツァルトが重くなり、ベートーヴェンが平板になります。
ロマン派に入ると、難易度の上限が一気に上がる
ロマン派以降の有名曲は、難易度の幅が大きく広がります。ショパンの「黒鍵エチュード」Op.10-5(1830年~1832年)は上級、リストの「ラ・カンパネラ」は超絶技巧、ラフマニノフの「鐘」Op.3-2(1892年)は中~上級。ドビュッシーの「月の光」(1890年)は表記のうえでは中級ですが、響きを作る段階では上級に近づきます。
理由は単純で、この時代の作曲家の多くが自分で弾く名手だったからです。ショパンは「黒鍵エチュード」で、以前タブー視されていた親指の黒鍵での使用を認め、革新的な指法技術を開発しました。リストは「ラ・カンパネラ」を何度も改訂し、初版から1838年の改訂、1851年の最終版へと書き換えています。演奏者としての手の都合が、そのまま譜面に刻まれているわけです。
したがって、ロマン派の有名曲を選ぶときは「知っているから」では足りません。難易度表記を確認し、演奏時間と技術要件を先に見る。この順番を守るだけで、途中で放棄する確率がはっきり下がります。
耳になじんだ曲ほど落とし穴がある——知名度と難易度はずれている
有名曲を選ぶときにもっとも起きやすい失敗が、「よく聞く曲=やさしい曲」という思い込みです。実際には、CMや映像作品で使われるのは曲の冒頭だけということが多く、冒頭と全曲の難しさが同じとは限りません。ここでは、ずれが大きい代表例を三つ見ていきます。
「エリーゼのために」は、中盤から別の曲になる
ベートーヴェンが1810年4月27日に作曲したイ短調のロンド形式の小品で、演奏時間は約2分~2分30秒。難易度表記は初中級~中級で、ツェルニー100番練習曲、リトルピアニスト、ブルグミュラー25の練習曲の中盤~終盤レベルとされ、ピアノ初心者から中級者へのステップアップに適した曲として位置付けられています。
問題は、この曲に盛り込まれている技術の種類です。トリル、分散和音、オクターブ、トレモロ、連打音、三度の和音、六度の和音、三連符、半音階と、ひととおり出てきます。冒頭の主題はシンプルな旋律と美しい和声でできていますが、大人の初心者にとっては中盤、終盤の速いパッセージがテクニック的な難所になります。
よくあるのが、冒頭が弾けた時点で「この曲はいける」と判断し、中盤で止まってしまうパターンです。対策は、譜読みの順番を変えること。冒頭からではなく、いちばん音が細かい箇所を先に取り出して、片手ずつゆっくり組み立てます。そこが弾ける速度が、その曲の実際のテンポの上限になります。

ピアノを習い始めて少し経つと、ほぼ必ず名前が挙がるのが「エリーゼのために」です。冒頭のミレミレミ…は聴いたことがない人のほうが少なく、実際に鍵盤に置いてみると、…
「月の光」は表記が中級でも、響きを作る段階で上級に近づく
ドビュッシーが1890年、28才の頃に作曲したベルガマスク組曲の中の1曲です。演奏時間は約4分30秒~5分。全音ピアノピースによる難易度判定では中級とされますが、「音を並べる」だけなら中級、「ドビュッシーとして響かせる」なら上級に近い難易度という評価もあります。
なぜ表記と体感がずれるのか。冒頭はゆったりしていて音数も少ないのですが、中間部の左の16分音符、右の声部弾き分けの難易度が高いからです。右手のなかに旋律と内声が同居していて、同じ手のなかで音量を変え続ける必要があります。指を動かす速さではなく、指ごとに力の配分を変える技術が問われます。
この曲で止まる人は、たいてい速い箇所ではなく、静かな箇所で止まります。音が少ないぶん、ペダルの濁りと音量のばらつきが全部露出するためです。まず声部ごとに分けて弾き、旋律だけ・内声だけを別々に暗譜してから重ねると、輪郭が出ます。
有名曲を「冒頭の印象」で選ぶと、中盤で難易度が跳ね上がって止まります。選曲の前に、楽譜を最後まで開いていちばん音符が細かいページを確認してください。そのページを片手でゆっくり弾けるかどうかが、その曲を仕上げられるかの実際の判断材料になります。
「月光ソナタ」は第1楽章だけ、という選び方が通じにくい理由
ベートーヴェンの嬰ハ短調Op.27-2は1801年の作曲で、初版は1802年3月にウィーンのGiovanni Cappiから出版されました。全体の演奏時間は約16分30秒、難易度は中~上級で、チェルニー30番~40番程度以上の技術を要するとされています。
この曲は第1楽章アダージョ・ソステヌート、第2楽章アレグレット、第3楽章プレスト・アジタートの3楽章ソナタです。世間で「月光」として流れているのは第1楽章だけなので、「第1楽章なら弾けそう」と考える人が多いのですが、第1楽章は速さではなく音量の制御と持続力が課題になります。三連符を延々と保ちながら、その上の旋律だけを浮かせる。指を速く動かす技術とは別系統の難しさです。
さらに、この作品には副題「Sonata quasi una Fantasia(幻想曲風のソナタ)」が付き、伝統的なソナタ形式から逸脱した革新的構成を持ち、即興性を取り入れています。ペダル使用の詳細な指示が最初の作品例として記されている点も特徴です。つまり、ペダルの扱いそのものが作曲の一部になっている。踏みっぱなしにすると和音が混ざり、こまめに踏み替えると持続感が切れる。この折り合いの付け方が、この楽章の本体です。
ずれの正体は「使われ方」にある
知名度と難易度がずれる原因を整理すると、三つに分けられます。第一に、映像やCMで使われるのは曲の冒頭または中間の一部分であること。第二に、有名曲は編曲版が大量に出回っていて、初級用にやさしく書き直されたものと原典版が同じ曲名で並んでいること。第三に、難易度表記そのものが出版社ごとに違う物差しで付けられていること。
だから「有名だから易しい」でも「有名だから難しい」でもありません。曲名ではなく、いま手元にある楽譜のどの版か、そこにどの難易度表記が付いているかで判断する。これが有名曲を選ぶときの唯一の実務的な基準です。
バロックの定番、バッハのプレリュードは何が特別なのか

古い曲で有名なものを一曲だけ挙げるとすれば、多くの資料でバッハの平均律クラヴィーア曲集第1集第1番のプレリュードが挙がります。難易度表記が初級~初中級と低めなのに、プロの録音が膨大にある。この構造を理解しておくと、バロック曲の練習方針が決まります。
和音を分解しただけの音形が、なぜ名曲になるのか
この曲はアルペッジョだけでできている非常にシンプルな構成です。旋律が独立して書かれていないので、聴き手が感じている「美しい流れ」は、和音の並び順そのものが作り出しています。つまりこの曲の主役は指ではなく、和声進行です。
その証拠が、19世紀のシャルル・グノーがメロディをアルペッジョの上に乗せて「アヴェ・マリア」を作曲した事実です。バッハの書いた音を一音も変えずに、上へ旋律を足すだけで別の名曲になった。それだけ和音の並びが完成されていたということです。
練習に落とすなら、まず全曲を和音として弾く方法があります。分散されている音をまとめて同時に押さえ、和音の連なりだけを通して聴く。これをやってから元の音形に戻すと、どこで響きが変わるのかが手でわかるようになります。逆にこれを飛ばすと、指の運動練習で終わります。
初級~初中級の表記が意味するもの
難易度が初級~初中級、演奏時間が約2分10秒という数字だけを見ると、短期間で終わる曲に見えます。実際、音を並べるだけなら早い段階で到達できます。ソナチネ・アルバム初級~中級向け教本に収録されているのも、そのためです。
ただし、この表記は「音を間違えずに弾ける」までの難易度です。粒をそろえる、テンポを一定に保つ、音量を急に変えない、といった条件を足していくと、難易度は表記より上に伸びます。同じ音形が続く曲は、ごまかしが効かないからです。
目安としては、通して弾いたときにテンポが速くなったり遅くなったりしないこと、指が変わる箇所で音量が落ちないこと。この二つが安定したら、次の曲へ進んで問題ありません。完成度を上げ切ってから進む必要はなく、後で戻ってきたほうが伸びます。
バロックでペダルをどう扱うか
バロック期の曲で迷いやすいのがペダルです。作曲された当時の鍵盤楽器には現代のダンパーペダルがありませんから、譜面にペダル記号は書かれていません。だからといって一切踏まないのが正解とも限らず、現代のピアノで演奏する以上、響きを整える範囲で使うのが一般的です。
基準になるのは「和音が変わったら切る」です。BWV846のように和音が小節ごとに変わる曲では、和音の変わり目でペダルを踏み替えれば濁りません。逆に、同じ和音が続いている間は踏み続けても濁らない。この原則を覚えておくと、バロック以外の曲でも判断に使えます。
プレリュード(前奏曲)=もともとは何かの前に置かれる導入曲。平均律クラヴィーア曲集では前奏曲とフーガが対になっており、BWV846も本来はフーガとセットで書かれている。
アルペッジョ=和音を同時に鳴らさず、低い音から順に分けて弾く奏法。BWV846は全体がこの音形でできている。
平均律=1オクターブを均等に分割する調律の考え方。これにより24の全ての調で演奏できるようになり、曲集の構成そのものがその証明になっている。
ベートーヴェンの「悲愴」「月光」「熱情」はどれだけ離れているか
有名な古い曲のなかでも、ベートーヴェンのピアノソナタは名前だけが一人歩きしやすい分野です。三つとも通称で呼ばれ、三つとも「聞いたことがある」。しかし難易度も演奏時間も作曲年も、それぞれ離れています。順に見ていきます。
「悲愴」Op.13——Graveの序奏が持ち込んだもの
ハ短調のOp.13は1797年頃に完成し、初版は1799年、ウィーンの出版社エーダーから「Grande Sonate Pathetique」として出版されました。演奏時間は約18分、難易度は中級~上級です。第1楽章がGrave、第2楽章がアダージョ・カンタービレ、第3楽章がロンドという3楽章構成です。
この曲の設計上の特徴は、Graveによる緩徐序奏を持つソナタ形式の第1楽章と、フォルテ・ピアノ(fp)による強烈な動的対比です。序奏でいったん時間を止め、そこから主部へなだれ込む。つまり「速い遅い」の落差が曲の中心にあります。
よく弾かれるのは第2楽章のアダージョ・カンタービレで、こちらは音数が少なく旋律が明快です。ただし旋律を歌わせる一方で伴奏を抑える必要があり、右手と左手で音量を分ける技術が前提になります。第1楽章と第2楽章で求められるものがまったく違うので、片方が弾けたからもう片方も、とはなりません。
「月光」Op.27-2——形式から外れた設計
1801年作曲、初版1802年3月。嬰ハ短調、演奏時間は約16分30秒、難易度は中~上級。「悲愴」より作曲年が後で、演奏時間はわずかに短い。にもかかわらず、通して弾く難しさでは「月光」のほうが上に見られることが多い作品です。
理由は第3楽章にあります。プレスト・アジタートという指示のとおり、ここで一気に速度が上がります。第1楽章の静けさと第3楽章の激しさは、同じ曲のなかで別人の書いたものに見えるほど離れている。副題「幻想曲風のソナタ」は、この構成の逸脱を作曲者自身が宣言したものと読めます。
また、ペダル使用の詳細な指示が最初の作品例として記されている点は、練習上も無視できません。譜面に書かれたペダル指示は、現代のピアノでそのまま再現すると響きが濃くなりすぎることがあります。指示の意図(響きを保ち続ける)を優先し、楽器と部屋に合わせて踏み替えの回数を調整するのが現実的な扱いです。
「熱情」Op.57——上級の壁がどこにあるか
ヘ短調のOp.57は1804年から作曲が始まり、1805年夏ごろに完成したと考えられており、楽譜は1807年2月にウィーンの美術工芸社から出版されました。演奏時間は約22分、難易度は上級です。第1楽章アレグロ・アッサイ(ソナタ形式)、第2楽章アンダンテ・コン・モート(変奏形式)、第3楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ(ソナタ形式)という構成です。
特徴は、広いダイナミクスレンジと最高・最低音域の強調的な使用にあります。鍵盤の端から端までを使い、音量の幅も大きい。オペラ「フィデリオ」の表現技法が応用され、交響曲第5番の運命動機も用いられているとされます。
難易度が上級とされる根拠ははっきりしていて、特に第1楽章と第3楽章は速度・表現・体力の三拍子が揃い、演奏には身体的にも精神的にも強い集中力が必要とされます。つまり、部分練習で弾ける箇所を増やしても、通し演奏で最後まで持たないという問題が残る。三つのなかでは明確に別の段階にある曲です。
| 項目 | 悲愴 Op.13 | 月光 Op.27-2 | 熱情 Op.57 |
|---|---|---|---|
| 作曲年・調性 | 1797年頃完成/ハ短調 | 1801年/嬰ハ短調 | 1804年(完成は1805年と推定)/ヘ短調 |
| 難易度・演奏時間 | 中級~上級/約18分 | 中~上級/約16分30秒 | 上級/約22分 |
| 構造上の特徴 | Graveの緩徐序奏とfpによる強烈な動的対比 | 「幻想曲風のソナタ」の副題。ペダル指示の最初の作品例 | 広いダイナミクスレンジと最高・最低音域の強調的な使用 |
| よく弾かれる楽章 | 第2楽章アダージョ・カンタービレ | 第1楽章アダージョ・ソステヌート | 第1楽章・第3楽章(いずれも上級) |

三曲をどの順番で触るか
難易度表記だけを見れば「悲愴」(中級~上級)と「月光」(中~上級)が近く、「熱情」(上級)が離れています。ただし全曲を通すかどうかで話が変わる点に注意してください。「悲愴」の第2楽章だけ、「月光」の第1楽章だけを取り出すなら、必要な技術は表記より下がります。
現実的な進め方は、楽章単位で扱うことです。まず「悲愴」第2楽章で旋律と伴奏の音量差を作る練習をし、次に「月光」第1楽章で持続音とペダルの扱いを覚える。そのうえで全曲を通す体力が欲しくなったときに「熱情」を検討する。この順番なら、各段階で身につくものがはっきりします。
モーツァルトのトルコ行進曲が今も弾かれ続ける理由
古い曲で有名なものの代表として、必ず名前が挙がるのが「トルコ行進曲」です。ピティナ・ピアノ曲事典でも「おそらくモーツァルトの最も有名な作品」の一つとされています。短く、明るく、初級~中級で届く。この三つがそろっている曲は多くありません。
1783年のソナタ第11番、その第3楽章という位置づけ
正式にはピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331(K6.300i)の第3楽章です。作曲年は1783年、初版年は1784年、初版出版社はArtaria。第1楽章がテーマと変奏(6/8拍子)、第2楽章がメヌエット(3/4拍子)、そして第3楽章がトルコ行進曲(2/4拍子)です。演奏時間は第3楽章で約3~4分。
単独で弾かれることが圧倒的に多いのですが、もとは3楽章ソナタの終楽章です。第1楽章が変奏曲で始まるという構成自体が当時としては変則的で、そこから最後に「Alla Turca」という異国風の楽章で締める。全体で一つの流れになっています。
背景として、1783年のウィーンの歴史的背景が反映されていると考えられています。当時のヨーロッパではトルコ風の音楽が流行していて、軍楽隊の打楽器を模した響きが娯楽として受け入れられていました。「異国風」は当時の流行だったわけです。
A短調からA長調へ切り替わる設計
この楽章は、A短調の円形フィギュレーション主題から始まり、その後A長調で軍楽的な音楽へと展開します。冒頭のくるくる回るような音形と、途中から出てくる行進曲らしい和音の連打。この二つの対比が曲の骨格です。
練習のうえで重要なのは、この切り替わりを音色で区別することです。前半の音形は軽く、後半の和音は打楽器的に。同じ音量・同じタッチで弾き続けると、曲全体が平坦になります。譜面上で長調に変わる箇所に印を付け、そこで手の使い方を切り替える意識を持つと輪郭が出ます。
また、繰り返し記号の扱いも効きます。同じ部分を二回弾くとき、一回目と二回目で音量を変えるだけで、単調さが消えます。古典派の曲は繰り返しが多いので、この判断を先に決めておくと練習の目的がはっきりします。
初級~中級の表記でも崩れる場所がある
難易度は初級~中級。ただし、この曲で止まる人には共通のパターンがあります。冒頭の速い音形を最初から本番のテンポで練習してしまい、指が転ぶ状態のまま暗譜まで進んでしまうケースです。いったん覚えてしまった転び方は、後から直すのに時間がかかります。
原因は、テンポ設定と運指の二つです。有名曲は録音を聴き慣れているぶん、耳のなかのテンポが先に決まってしまう。そこへ指を合わせにいくと、弾けていない箇所を飛ばす癖がつきます。対策は単純で、いちばん難しい箇所が正確に弾ける速度を全体のテンポにすること。そこから上げていきます。
運指については、繰り返し出てくる音形に対して毎回違う指を使っていないか確認します。同じ形は同じ指で。これだけで安定します。楽譜に印刷された運指が手に合わない場合は、書き換えてかまいませんが、決めたら変えないことが条件です。
| 分類・正式名 | 古典派/ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331(K6.300i)第3楽章 |
| 作曲年・初版 | 作曲1783年/初版1784年(Artaria) |
| 難易度・演奏時間 | 初級~中級/第3楽章 約3~4分 |
| 向いている人・用途 | 明るい曲想で短時間に仕上げたい人、発表会で1曲完結させたい人。拍を崩さず均等に弾く練習にもなる |
ロマン派の有名曲は、作曲家の「手」がそのまま譜面になっている
ロマン派以降の有名曲は、作曲家自身が演奏の名手だったため、譜面に技術的な発明が直接書き込まれています。ここでは、ショパン、リスト、ラフマニノフの代表曲を、技術の中身から見ていきます。
黒鍵エチュード——親指を黒鍵に置く、という発明
ショパンの変ト長調Op.10-5は1830年~1832年の作曲で、1833年にフランス、ドイツ、イギリスで12の練習曲作品10の5番目の作品として初版されました。演奏時間は約1分40秒、難易度は上級。構成はA–B–Aの三部形式(小節1–16、17–49、50–65)にコーダ(66–85)が続きます。
最大の特徴は、右手が黒鍵上でのみ演奏される点です(66小節のファを除く)。この制約が技術的な意味を持つのは、ショパンが以前タブー視されていた親指の黒鍵での使用を認め、革新的な指法技術を開発したからです。それまでの奏法では、短い親指は白鍵に置くのが原則でした。
ショパン自身は1839年4月25日付の手紙で、「黒鍵のために書かれたことを知らない者には、全く退屈に聞こえるだろう」と述べています。つまりこの曲は、聴き映えより技術課題として書かれた側面が強い。演奏時間が約1分40秒と短いので手を出しやすく見えますが、上級表記は妥当です。
ノクターンOp.9-2——もっとも有名で、表記は上級
変ホ長調のOp.9-2は1830年~31年の作曲で、ショパン20才~21才の時期にあたります。ショパンの作品資料によれば、ショパンのノクターンの中でもっともよく知られている曲で、フィギュアスケートの演技BGMやドラマの挿入歌としても使われています。演奏時間は約4~5分。
難易度は、全音ピアノピース一覧表によると上級(E)、国際的に広く使われているG.Henle社の評価では難易度6に分類されます。美しくロマンティックな旋律を持ちながら、演奏には相応のテクニックと表現力が必要という位置づけです。
この曲が上級とされるのは、速い音符が理由ではありません。左手が広い音域を規則的に動き続けるなかで、右手の旋律に装飾音が次々に加わる。しかも装飾音は拍のなかに詰め込むものと、時間を取って歌うものが混在します。テンポを揺らす判断が演奏者に委ねられている点が、難易度を押し上げています。

「ショパンのノクターンを弾いてみたいけれど、自分の実力で手が届くのかがわからない」——ピアノを再開した大人の学習者から、この種の質問がいちばん多く出ます。楽譜売…
ラ・カンパネラ——三つの版があり、難しさが違う
リストの「ラ・カンパネラ」は、パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題に基づいています。版の変遷が複雑で、最初の版は1831年から1832年にかけて作曲され、1834年に出版されました。その後1838年に「パガニーニによる超絶技巧練習曲」の第3番として改訂され、最終的に1851年に「パガニーニによる大練習曲」第3番として完成しています。
ここで押さえておきたいのが、改訂前の作品(1838年版)の方がより難易度が高いとされている点です。つまり「ラ・カンパネラを弾く」と言っても、どの版かで話が変わります。現在一般に流通しているのは1851年の最終版ですが、楽譜を買うときは版の表記を確認する必要があります。
演奏時間は約6~7分、難易度は超絶技巧。超絶技巧のオンパレードのような曲で、現代でもリストの曲の中でも最も有名で難しい曲の一つとされています。遠い音程を跳躍しながら、鐘の音を模した高音を正確に打ち続ける構造で、手の移動速度そのものが課題になります。
ラフマニノフの「鐘」——19才の作品が代表曲になった
嬰ハ短調のOp.3-2は1892年の作曲・初版で、「幻想的小品集」Op.3として出版されました。作曲者はこのとき19才、モスクワ音楽院を最優秀成績で卒業した直後です。演奏時間は約4分、難易度は中~上級。
構造がはっきりしている曲で、ショパンの「幻想即興曲」を思わせる力強いベース和音で始まり、主部では「遠く響き渡る鐘の音」を表現します。中間部はさらに内省的で即興的な旋律を展開し、鐘のモティーフを活用。再現部では鐘が最大音量で奏でられた後、徐々に遠ざかるという構成です。
難易度が中~上級にとどまるのは、速いパッセージが中心ではないためです。ただし和音が厚く、手の大きさによっては届かない配置が出てきます。届かない和音は分散して弾く(アルペッジョにする)のが一般的な処理で、これは楽譜上の指示がなくても許容される範囲です。
有名な古い曲を弾く順番は、作曲年ではなく難易度で決める
ここまで見てきた11曲を、時代順ではなく難易度表記順に並べ直します。作曲年で並べると、バッハの次にモーツァルト、その次にベートーヴェンとなりますが、実際に弾く順番としてはこの並びは機能しません。
11曲を難易度表記で並べた一覧(ピアノと音楽の教科書調べ)
以下は、ピティナ・ピアノ曲事典をはじめとする各曲の公開資料に記載された難易度表記・作曲年・演奏時間を、当サイトで一覧に組み直したものです。難易度表記は出典ごとの表記をそのまま採録しています。
| 曲名 | 作曲年 | 難易度表記 | 演奏時間 |
|---|---|---|---|
| バッハ プレリュード BWV846 | 1722年 | 初級~初中級 | 約2分10秒 |
| モーツァルト トルコ行進曲 K.331 | 1783年 | 初級~中級 | 第3楽章 約3~4分 |
| ベートーヴェン エリーゼのために | 1810年 | 初中級~中級 | 約2分~2分30秒 |
| ドビュッシー 月の光 | 1890年 | 中級(響かせるなら上級に近い) | 約4分30秒~5分 |
| ラフマニノフ 鐘 Op.3-2 | 1892年 | 中~上級 | 約4分 |
| ベートーヴェン 月光 Op.27-2 | 1801年 | 中~上級 | 約16分30秒 |
| ベートーヴェン 悲愴 Op.13 | 1797年頃完成 | 中級~上級 | 約18分 |
| ショパン ノクターン Op.9-2 | 1830年~31年 | 上級(全音)/難易度6(G.Henle社) | 約4~5分 |
| ショパン 黒鍵エチュード Op.10-5 | 1830年~1832年 | 上級 | 約1分40秒 |
| ベートーヴェン 熱情 Op.57 | 1804年(完成は1805年と推定) | 上級 | 約22分 |
| リスト ラ・カンパネラ | 1831年~1832年(初版)/1851年(最終版) | 超絶技巧 | 約6~7分 |
こうして並べると、作曲年と難易度に相関がないことがわかります。いちばん古い1722年のバッハが最も易しく、1890年代のドビュッシーやラフマニノフは中級帯。上級帯にはベートーヴェンの1804年とショパンの1830年代が混ざっています。

難易度表記は出版社ごとに物差しが違う
表を見て気づくのが、表記の粒度がそろっていないことです。「上級」と書く資料もあれば、G.Henle社のように数字で示す資料もあります。ショパンのノクターンOp.9-2は、全音ピアノピース一覧表で上級(E)、G.Henle社では難易度6。同じ曲に二つの表記が付いています。
なぜそろわないのか。基準にしている要素が違うからです。指の運動的な難しさを重く見る物差しと、音楽的な完成度まで含める物差しがあります。ドビュッシーの「月の光」が中級とされる一方で「響かせるなら上級に近い」と評価が割れるのは、この差がそのまま出た例です。
したがって、難易度表記は「一つの数字を信じる」のではなく、「複数の表記を並べて幅を見る」使い方が正解です。上級と中級の両方の評価がある曲は、実際に中級帯の実力で音を並べることはできるが、仕上げるには上級の作業が要る、と読み替えれば実態に近づきます。
実は、有名な古い曲ほど「短い」
意外と知られていませんが、有名な古い曲は演奏時間が短いものが多く含まれます。ショパンの黒鍵エチュードは約1分40秒、バッハのプレリュードは約2分10秒、エリーゼのためには約2分~2分30秒。上級表記の黒鍵エチュードが、初級表記のバッハより短いのです。
この事実は選曲に使えます。「難しい曲=長い曲」ではないので、上級の曲でも短いものを選べば、譜読みの総量は抑えられます。逆に、ベートーヴェンのソナタは難易度が中級~上級でも演奏時間が約16分30秒から約22分あり、覚える量が桁違いです。
つまり選曲の軸は二つ。難易度表記と演奏時間です。この二つを掛け合わせると、「難易度は高いが短い曲」「難易度は中程度だが長い曲」という区別ができ、自分の使える時間に合わせて選べるようになります。有名曲を途中で放棄する人の多くは、難易度ではなく分量で力尽きています。
読者タイプ別・最初の1曲の選び方
大人になってから始めた人・再開した人は、バッハのプレリュードBWV846から入るのが合理的です。初級~初中級、約2分10秒。同じ音形が続くので譜読みの負担が軽く、和音の聴き方を身につける教材としても機能します。ここで和声の変化を聞き分ける耳ができると、後の曲の理解が速くなります。
子どもの発表会で1曲仕上げたい場合は、モーツァルトのトルコ行進曲が候補になります。初級~中級、第3楽章のみで約3~4分。明るい曲想で客席にも伝わりやすく、繰り返し構造がはっきりしているので暗譜の負担も比較的軽くなります。
中級帯から表現を伸ばしたい人は、ラフマニノフの「鐘」Op.3-2かドビュッシーの「月の光」です。どちらも速いパッセージが中心ではなく、音量の設計とペダルで勝負する曲。指の運動能力ではなく、音を作る技術を鍛える段階に適しています。
上級の壁に挑む人は、演奏時間の短い黒鍵エチュード(約1分40秒)から入り、通し演奏の体力が必要な「熱情」(約22分)は後に回す。この順番なら、上級の技術を分割して習得できます。
まとめ:有名な古い曲は「難易度表記と演奏時間」の二軸で選ぶ
最初の一歩として、いま気になっている曲の楽譜を開き、いちばん音符が細かいページを探してください。そこを片手でゆっくり弾いてみて、音が並ぶかどうか。並ぶなら、その曲は今のあなたの射程に入っています。並ばないなら、同じ作曲家のより短い曲か、一段下の難易度表記の曲から入れば、同じ様式の書き方を学びながら準備ができます。有名だから、ではなく、構造がわかるから弾く。この順番に変えるだけで、途中で止まる曲がはっきり減ります。
なお、難易度の表記や楽譜の版は出版社の改訂によって変わることがあります。購入前に出版社の公式情報でご確認ください。

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