バッハ性格は「真面目・頑固・勤勉」|20歳の決闘騒ぎと子ども20人の家庭から読む素顔

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「音楽の父」と呼ばれるバッハは、肖像画の厳めしい表情のせいか「怖い人」「気難しい人」というイメージを持たれがちです。一方で、20人の子どもに囲まれた家庭人という話や、若いころに剣を抜く騒ぎを起こしたという話もあり、どれが本当の姿なのか分かりにくい人物でもあります。

先に結論をお伝えすると、バッハの性格は解説記事や研究の紹介で「真面目で頑固、そして勤勉」という3つの言葉でまとめられることが多い人物です。そしてこの3つは、逸話の中だけでなく、彼が残した作品の書き方そのものにも表れています。インベンションや平均律クラヴィーア曲集を弾くと「融通が利かないほど筋が通っている」と感じるのは、偶然ではないんですよ。

この記事では、20歳のときのアルンシュタット事件、2番目の妻アンナ・マグダレーナと大家族の暮らし、対位法とフーガの設計、そして息子のために書かれたインベンションまでを順にたどり、バッハの人物像を「伝承」と「確かめられる事実」に分けて整理します。ピアノでバッハを弾く人が、性格の理解を演奏に生かす読み方もあわせて紹介します。

💡 この記事でわかること

・バッハの性格が「真面目・頑固・勤勉」と語られる根拠
・20歳で起きたアルンシュタット事件の中身と、そこから見える気性
・2番目の妻アンナ・マグダレーナと子ども20人の家庭で見える別の顔
・インベンションや平均律の「書き方」に性格が表れる理由と、演奏への生かし方

目次

バッハ性格は「真面目・頑固・勤勉」の3語で語られる

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研究者の見方がそろう「勤勉が洋服を着て歩いている人物」

バッハの性格を一言でまとめるなら、真面目・頑固・勤勉の3つです。歴史解説メディアでは「バッハの研究家や学者たちは『バッハは真面目で頑固、そして勤勉である』と口を揃えており、『勤勉が洋服を着て歩いているような人物』と言い表す学者もいる」と紹介されています。

こうした評価が生まれる理由は、残された仕事量と仕事の質の両方にあります。バッハの作品は1000曲以上にのぼり、しかも宗教曲・鍵盤曲・室内楽・協奏曲と分野を横断しています。量だけなら多作な作曲家は他にもいますが、どの分野でも声部の動きを最後まで詰めて書く姿勢が一貫している点が、「勤勉」と「頑固」が同居した人物像につながっています。

独学でクラシックの人物史を読むときにありがちなのが、この3語を「堅物で面白みのない人」と受け取ってしまうことです。実際には後で見るように、若いころは言葉が過ぎて衝突を起こし、家庭では妻や子どものために曲を書く一面もありました。「真面目」は性格の全部ではなく、音楽への向き合い方を指す言葉として読むのが自然です。人物評を読むときは、誰がどんな根拠でそう言っているのかを1つずつ確認していきましょう。

「高い基準」が人間関係では厳しさとして出た

バッハの真面目さは、周囲の人に対しては「厳しさ」として表に出ることがありました。解説記事では「音楽に対する情熱が強すぎて、共演者や教え子に対しても一切の妥協ができず、時には大変厳しい態度をとるようなこともあった」と書かれています。

なぜそうなるのかは、バッハが担っていた仕事の性質を考えると分かりやすくなります。彼は教会のオルガニストや聖歌隊の指揮、のちにはライプツィヒのトーマス学校カントルとして、合唱や器楽の演奏者を率いる立場にありました。自分が書いた多声の音楽は、1つの声部が崩れるだけで全体の構造が見えなくなります。作曲者として完成形が頭にある人ほど、演奏の粗さが許せなくなるのは想像しやすいところです。

ただし、ここで注意したいのは「厳しい=意地悪」ではないという点です。基準の高さが原因で衝突が起きたのであって、人を貶めること自体が目的だったわけではありません。ピアノ学習者に置きかえると、自分の演奏の粗さに目をつぶれない人ほど上達は早い一方、一緒に弾く相手との温度差には気を配る必要がある、という話に近いでしょう。

性格の話は「二次情報」が多いと知っておく

バッハの性格について書かれた文章の多くは、研究書そのものではなく、それを紹介する二次的な解説です。性格を語るときは「〜と言われている」「〜とされる」という距離感を保つのが正確な読み方になります。

理由は単純で、バッハ自身が自分の性格を語った文章が多く残っているわけではないからです。性格像は、職場とのやりとりの記録、事件の記録、家族の証言や後世の伝記などを組み合わせて推定されたものです。特に19世紀以降の伝記には、偉大な作曲家像をつくろうとする脚色が混ざることが知られており、この点は後で紹介するアンナ・マグダレーナ像にも当てはまります。

ありがちな失敗は、ネット上の「バッハは○○な人だった」という断定をそのまま信じて、別の記事の逸話と矛盾したときに混乱してしまうことです。逸話の年や数字が記事ごとに違うことも珍しくありません。複数の資料で同じ話が出てくるか、出所が書かれているかを確認するだけで、読み違いはぐっと減ります。当サイトでも、以下の話は出典つきで確認できた範囲に絞っています。

📋 プロフィールカード
人物・時代 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。バロック時代の対位法の大家
生没年と土地 1685年3月21日(ユリウス暦)アイゼナハ生まれ/1750年7月28日ライプツィヒ没
よく語られる性格 真面目・頑固・勤勉。音楽に妥協せず、共演者や教え子に厳しい面も
ピアノ学習者との接点 インベンション(全15曲)、平均律クラヴィーア曲集(全48曲)

なぜ20歳で剣を抜く騒ぎになったのか|アルンシュタット事件の中身

1705年8月4日、夜の路上で起きた決闘騒ぎ

バッハの気性を語るときに必ず出てくるのが、1705年のアルンシュタットでの事件です。当時20歳のバッハは、アルンシュタットの新教会でオルガニスト兼聖歌隊の指揮を務めていました。

解説記事によると、1705年8月4日、バッハはこの教会の学生ガイエルスバッハと深夜の路上で決闘騒ぎを起こしました。ファゴットを担当していたこの学生は、バッハから「山羊ファゴット」と言われたことに憤慨し、バッハを待ち伏せして顔を殴ります。バッハは剣を抜いて切りかかろうとしましたが、周りの人に止められた、と伝えられています。

この話の要点は「殴られたこと」よりも、発端がバッハの言葉だったという点です。演奏の出来に納得できず、それを相手が傷つく言い方で口にしてしまった。そこに若さゆえの血の気の多さが重なって、剣を抜くところまで行ってしまったわけです。のちに「勤勉が洋服を着て歩いている」と言われる人物にも、20歳の時点ではこうした危うさがあったことが分かります。

悪いのはどちらだったのか——聖職者会議の判断

この事件のあと、教会を管轄する聖職者会議で事情が調べられ、発端となったバッハの侮辱的な言葉も問題視されたと紹介されています。「殴られた側だから被害者」という単純な話では終わらなかったのです。

根本にあったのは、バッハの高い音楽的水準と、それに届かない演奏への厳しい批判でした。解説記事は「高い音楽的水準を求める真摯さから、様々な人間関係のトラブルに見舞われることがあった」とまとめています。つまりこの事件は、真面目さと頑固さが悪い方向に出たときの典型例として読めるわけです。

この騒ぎのあと、バッハは4週間の休暇許可をもらってリューベックへ出かけますが、許された期間を大きく超えてアルンシュタットに戻り、再び聖職者会議から叱責を受けたと伝えられています。延長の長さは資料によって表記が分かれるため、ここでは「大幅に超えた」とだけ押さえておけば十分です。音楽を学ぶための旅で職場との約束を後回しにしてしまうあたりにも、「音楽が最優先」という性格がにじんでいます。

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この事件から学習者が読み取れること

アルンシュタット事件は、単なる若気の至りのゴシップではありません。「高い基準を持つこと」と「その基準を他人にどう伝えるか」は別の能力だ、という教訓として読むと、現代のピアノ学習にもつながります。

音楽の世界では、耳が育つほど他人の演奏の粗さが気になるようになります。連弾やアンサンブル、発表会の合奏などで「相手のテンポが揺れる」「音量のバランスが悪い」と感じる場面は必ず出てきます。そこで感じたことをそのまま言葉にすると、20歳のバッハと同じ構図の衝突が起きかねません。

⚠️ つまずきやすいポイント(失敗パターン1)

逸話を1つだけ読んで「バッハは乱暴な人だった」と人物像を固めてしまう失敗です。原因は、20歳の事件と、その後数十年にわたる勤勉な仕事ぶりを同じ重さで並べてしまうこと。対策は、逸話が「いつ・何歳のときの話か」「出典はどこか」を確認し、生涯の中のどの段階の出来事かに置き直して読むことです。

一緒に弾く相手に意見を伝えるときは、「あなたの演奏が悪い」ではなく「ここは何拍目で合わせよう」「この小節は左手を少し控えめにしよう」と、具体的な小節番号や拍で話すのがコツです。基準の高さはそのままに、伝え方だけを変える。バッハの失敗は、その違いを分かりやすく見せてくれています。

1000曲以上を書き続けた勤勉さはどこに表れているか

1000曲以上を書き続けた勤勉さはどこに表れているかの解説画像

作品番号BWVを眺めると「分野の広さ」が見える

バッハの勤勉さを数字で実感するなら、作品番号BWV(Bach-Werke-Verzeichnis、バッハ作品目録)を眺めるのが近道です。BWVは作曲年順ではなく、ジャンル別に番号が振られているため、どの分野にどれだけの作品を残したかが一目で分かります。

ピアノと音楽の教科書では、BWVの分類区分を下の表に整理しました。カンタータから協奏曲まで、声楽・鍵盤・室内楽・管弦楽のほぼすべてを網羅しているのが分かります。作品数は1000曲以上とされ、1人の作曲家がこれだけの分野を並行して書き続けた点に、「勤勉」という評価の根拠があります。

📊 BWV番号の分類(ピアノと音楽の教科書調べ)
BWV番号 ジャンル ピアノ学習者との関係
1〜231 カンタータ・モテット 合唱の声部の書き方が鍵盤曲にも通じる
232〜243 ミサ 聴いて多声の響きを知る素材
244〜249 オラトリオ(受難曲など) マタイ受難曲・ヨハネ受難曲を含む
250〜524 コラール・歌曲 4声の和声の読み方の練習にも使われる
525〜771 オルガン曲 足鍵盤を含む多声の設計
772〜994 チェンバロ等の鍵盤楽器曲 インベンション(BWV 772-786)はここに入る
1001〜1040 室内楽曲 無伴奏曲など、1本の旋律で和声を感じさせる書法
1041〜1065 協奏曲 イタリアの協奏曲様式を吸収した作品群
1066〜1071 管弦楽曲 舞曲の形式を知る手がかり

ピアノ学習者が普段触れるのは、このうち鍵盤楽器曲の区分のごく一部です。自分が弾いている曲が全体のどこに位置するかを知っておくと、「バッハ=鍵盤の人」という偏った見方を避けられます。

学び続けた人——北・南・西の様式を吸収した理由

バッハの勤勉さは「書く量」だけでなく「学ぶ量」にも表れています。音楽出版社のメディアONTOMOの解説では、バッハは「北ドイツの厳格な対位法様式、イタリアの協奏曲と声楽様式、フランスの鍵盤楽器様式と管弦楽法など、バロック音楽の多様な様式を吸収」したと説明されています。

当時のドイツの音楽家にとって、他国の様式は楽譜の筆写や演奏を通して身につけるものでした。先ほどのリューベック行きも、北ドイツの音楽を直接学ぶための旅として語られます。職場との約束を超えてまで学びに出た行動は、頑固さの裏返しであると同時に、学ぶことへの執念の表れとも言えます。

詳しい生涯と作品の流れは、ONTOMOのバッハの生涯と作品の解説で確認できます。

学習者の目線で言えば、バッハの曲には「イタリア風の明るい協奏曲の響き」「フランス風の装飾」「ドイツ風の厳格な対位法」が混ざっています。曲ごとに「これはどの様式の影響が強いか」を意識して聴くと、同じバッハでも弾き方の方向性が変わってくるはずです。

活動地ごとに作品の中心が変わった

バッハの人生は、仕事の場所によって書く作品の中心が変わっていきました。少年時代はドイツ語・ラテン語学校で学び、青年時代はリューネブルクへ。その後ワイマールでは宮廷オルガニスト、ケーテンでは器楽作品の創作期を迎え、ライプツィヒではトーマス学校カントル・音楽監督として晩年までを過ごしました。

これは「与えられた職務に合わせて、求められる音楽を確実に書く」という仕事人としての姿勢を示しています。教会の仕事なら宗教曲を、宮廷で器楽が求められれば器楽を、学校では教育的な音楽をというように、置かれた環境で最大限の仕事をしたわけです。

ありがちな誤解は、「芸術家は好きなものだけを書く」というロマン派以降のイメージをバッハに当てはめてしまうことです。バッハの時代の作曲は職務の一部でした。その枠の中で妥協せずに質を上げ続けたことが、真面目さと頑固さの本当の中身です。曲の背景を調べるときは、「どこで、何の職務として書かれたか」を最初に確認すると、作品の性格が見えやすくなります。

子ども20人と2番目の妻アンナ・マグダレーナ|家庭で見える別の顔

16歳年下の妻は声楽家・作曲家だった

バッハの2番目の妻、アンナ・マグダレーナ・バッハは1701年9月22日生まれで、バッハより16歳年下でした。職業は声楽家で、作曲家としても紹介されています。没年月日は1760年2月22日または2月27日と、資料によって記載が分かれています。

アンナ・マグダレーナは、ザクセン=ヴァイセンフェルス公の宮廷トランペット奏者ヨハン・カスパール・ヴィルケの7人兄弟の末子として生まれました。つまり音楽家の家に育ち、自身も歌い手として活動していた人です。バッハとの結婚は、音楽の言葉が通じる者同士の結びつきだったと考えると分かりやすいでしょう。

ONTOMOのアンナ・マグダレーナについての解説では、彼女は「妻として母として大家族を切り盛りし、夫の仕事を手伝う存在」とされ、特に「夫の楽譜をたくさん筆写」していたと記されています。演奏用のパート譜が大量に必要だった教会音楽の現場で、正確に楽譜を写せる家族がいることは、バッハの仕事量を支える大きな力になったはずです。

『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』に見える家庭人の顔

厳しいと言われるバッハにも、家族のために曲を書く一面がありました。結婚の翌年、バッハは妻に『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』を贈り、その後も妻と子どもたちのためにさまざまな音楽を書き込んでいったと伝えられています。

この音楽帳が興味深いのは、家庭の中で弾かれ、歌われる音楽の記録だという点です。職務として書いた大規模な宗教曲とは違い、身近な人が楽しみながら練習できる小品が並んでいます。仕事では妥協を許さない人が、家では家族の弾けるレベルに合わせて音楽を用意していた。これが「真面目」の、もう1つの表れ方です。

ピアノ学習者にとっては、この音楽帳ゆかりの小品が初めて弾くバッハになることも多いでしょう。ここでありがちなのが、「バッハだから厳格に、機械的に」と構えすぎてしまうことです。家族のための音楽として書かれた背景を知れば、もっと歌うように、踊るように弾いてよいと分かります。同じ作曲家でも、曲の用途によって弾き方の温度を変えるのがコツです。

子ども20人の家庭と「明るい子どもたち」の伝承

バッハの子どもは、生涯で20人いたといわれています。これだけの大家族を支えながら、1000曲以上の作品を書き、教会や学校の職務もこなしていたわけです。勤勉という評価には、この生活の重さも含まれています。

歴史解説メディアでは、バッハの子どもたちは「楽観的で外向的な性格」をしており、それは人気ソプラノ歌手であった母アンナ・マグダレーナの性格を受け継いだものといわれている、と紹介されています。父が真面目で頑固、母が明るく社交的、という対比は分かりやすく、よく語られる話です。

ただし、この話は「といわれている」という伝聞の形で伝わっているもので、どこまで実像を反映しているかは慎重に読む必要があります。次の見出しで触れるように、アンナ・マグダレーナについては同時代の資料自体が多くありません。家族の性格の話は、人物像を想像する手がかりとして楽しみつつ、断定の材料にはしない。これが伝承との上手な付き合い方です。

実は「糟糠の妻」像は後の時代につくられたもの

意外と知られていないのですが、アンナ・マグダレーナの「夫を献身的に支えた糟糠の妻」というイメージは、後の時代のロマンティックな見方が強く反映されたものです。当時の実際の資料はほとんど残されておらず、肖像画もなく、自筆の手紙もほとんど残っていないため、その実像ははっきりしていません。

これはバッハ本人の性格像を考えるうえでも大切な視点です。偉大な作曲家とその家族の物語は、後の世代が「こうあってほしい」という理想を重ねやすい題材です。献身的な妻と厳格な天才という組み合わせは物語として分かりやすいぶん、資料の空白が想像で埋められやすいのです。

Q バッハは家庭では優しい人だったのですか?
A 妻に音楽帳を贈り、家族のために曲を書き込んだことは確かめられます。ただ、家庭での振る舞いを直接記した資料は多くないため、「優しかった」と断定するより、「家族のために音楽を用意する人だった」と読むのが正確です。

人物像を読むときは、「作品や記録として残っているもの」と「後世が語ったイメージ」を分けて考えましょう。この線引きができると、伝記や映画を楽しみながらも、史実との距離を見失わずにすみます。

頑固さは音楽のどこに刻まれているか|対位法とフーガの設計

対位法は「すべての声部に主役の資格を与える」書き方

バッハの頑固さがいちばんはっきり表れているのは、対位法という作曲技法への徹底ぶりです。対位法とは、複数の独立したメロディーラインを同時に響かせる作曲技法のことで、バッハはこの技法を極限まで発展させ、各声部が独立性を保ちながら和声的な調和を生み出す方法を確立したと説明されています。

📖 用語チェック

対位法=複数の独立したメロディーを同時に響かせる作曲技法。
ポリフォニー(多声音楽)=対位法で書かれた、複数の声部が対等に動く音楽。
フーガ=1つの主題を各声部が順に受け渡しながら展開していく、対位法の代表的な形式。
声部=ソプラノ・アルトのように、音楽を構成する1本1本の旋律の線。

メロディー1本に伴奏がつく音楽なら、伴奏はある程度自由に書けます。ところが対位法では、どの声部も単独で旋律として成り立たなければならず、同時に鳴らしたときには和音としても成立しなければなりません。「横に聴いても美しく、縦に聴いても濁らない」という二重の条件を、最後の1音まで守り続ける必要があるのです。この条件を一切ゆるめずに書き切る姿勢こそ、性格の「頑固さ」が音楽上の強みとして現れた部分だと言えます。

フーガは「主題の提示→展開」の設計図で読む

フーガは、主題の提示、展開、そして対位的な技法が緻密に組み込まれた構造を持つ形式です。最初に1つの声部が主題を示し、別の声部がそれを受け継ぎ、さらに別の声部が加わって、主題があちこちの声部と調に現れながら曲が進んでいきます。

この構造は、弾く側から見ると「どの声部で主題が出ているか」を常に追いかける作業になります。主題が内声(真ん中の声部)に隠れているのに、いちばん上の声部ばかり目立たせて弾いてしまうと、フーガの設計そのものが聴き手に伝わりません。バッハが緻密に仕組んだ受け渡しを、演奏者が崩してしまうわけです。

独学でフーガに取り組むときは、まず楽譜の主題の出現箇所に色ペンで印をつけ、小節番号と声部を書き出してみてください。「第3小節からアルト」「第5小節からバス」のように設計図をつくると、どの手のどの指で主題を歌わせるべきかが見えてきます。これは暗記ではなく構造の把握なので、一度つくれば練習の迷いが減ります。

バロック時代の終わりと重なるバッハの没年

バロック音楽はおおよそ1600年から1750年とされ、感情豊かで装飾的なスタイルが特徴で、対位法を駆使した複雑で壮大な作品が数多く作られた時代です。そしてバッハの没年は1750年。時代区分の終わりとバッハの死が重なっているのは、偶然ではなく、音楽史上の区切りとして彼の死が意識されてきたことの表れでもあります。

バッハは、この時代に磨かれた対位法を集大成した人物として位置づけられます。作品の中でも『平均律クラヴィーア曲集』『インヴェンションとシンフォニア』『フーガの技法』などは、対位法の原則を徹底して組み込んだ作品として挙げられています。

ここで気をつけたいのは、「バロック=古くて単純」という誤解です。和声の仕組みだけで見れば後の時代の方が複雑に見えることもありますが、複数の旋律を同時に独立させる技術では、バロック期の対位法は高い水準に達していました。対位法やフーガについては、出版社の楽譜・書籍カタログなど、専門書で体系的に学ぶのが確実です。

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インベンション15曲は「息子のための練習帳」だった

全15曲がすべて異なる調で書かれている理由

ピアノ学習者がもっとも多く出会うバッハの作品が、インベンションです。正式名称は「2声のインヴェンション」で、作品番号はBWV 772-786、全15曲がそれぞれ異なる調性で書かれています。

成立の背景には、バッハが息子フリーデマンのために作成した練習帳があるとされます。わざわざ15曲すべてを別の調で書いたのは、生徒がさまざまな調号と指使いに慣れるためと考えると筋が通ります。教える相手が息子であっても、教材としての体系を妥協せずに組み立てる。ここにも「真面目で頑固」な性格が見えます。

現代のピアノ教育でもインベンションは「ブルグミュラーの次のステップ」として広く使われており、クラシックを本格的に学ぶうえで欠かせない教材の1つとされています。対象は初級から中級にかけてのレベルとして扱われることが多い曲集です。

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「1→4→7→8…」と伝わる練習順の意味

インベンションは番号順に弾く必要はありません。フリーデマンのための練習帳をもとにすると、1→4→7→8→10→13→15→14→12→11→9→6→5→3→2の順番が推奨されていたと言われています。また実際の学習では、1番、4番、8番、13番あたりから始める人が多いと紹介されています。

番号順が「難しい順」ではないという点が、独学者のつまずきどころです。2番や3番は番号こそ若いものの、この伝承の順では最後の方に置かれています。番号順に進めて2番で止まってしまい、「自分にはバッハは向いていない」と思い込むのは、もったいない失敗です。

🎼 インベンション1曲の練習の手順
Step1:冒頭の主題(最初の数拍の旋律)を右手だけで弾き、形を覚える
↓
Step2:楽譜の中で主題が出てくる箇所すべてに印をつけ、右手・左手のどちらに出るかを確認する
↓
Step3:片手ずつ、それぞれを1本の歌として弾けるまで練習する(伴奏扱いしない)
↓
Step4:ゆっくり両手を合わせ、主題が出ている声部が聴こえているかを耳で確かめる

「両手が別々に歌う」ことが難しさの正体

インベンションの難しさは、指の速さではなく「右手と左手が対等な旋律を同時に歌うこと」にあります。多くの初級曲は右手がメロディー、左手が伴奏という役割分担ですが、インベンションは2つの声部がどちらも主役です。

これは前の見出しで見た対位法の考え方そのものです。左手が右手の主題を追いかけるように同じ旋律を弾く場面が多く、左手を伴奏のつもりで弾くと、主題が聴こえなくなって曲の設計が崩れます。左手の練習量が右手より少ない学習者ほど、ここで苦労します。

⚠️ つまずきやすいポイント(失敗パターン2)

「バッハは厳格だから」と、すべての音を同じ強さ・同じ硬さで機械的に弾いてしまう失敗です。原因は、作曲家の性格イメージを演奏の表情にそのまま当てはめてしまうこと。対策は、主題の出だしと受け渡しを意識し、各声部を1本の歌として抑揚をつけることです。厳格なのは構造であって、表情ではありません。

「これでOK」の見極めは、片手ずつ弾いたときに、それだけで1つの曲として聴けるかどうかです。左手だけを録音して聴き返し、伴奏ではなく旋律として成り立っていれば、両手を合わせる準備ができています。

平均律クラヴィーア曲集48曲と、バッハ性格を演奏に生かす読み方

24の全調×2巻=48曲という「徹底ぶり」

バッハの「妥協しない性格」を作品の構成でもっとも分かりやすく示しているのが、平均律クラヴィーア曲集です。24のすべての調を使って作曲された前奏曲(プレリュード)とフーガのペアで構成され、第1巻と第2巻がそれぞれ24曲、合計48曲から成ります。

すべての調で1曲ずつ書くというのは、使いやすい調だけを選んで書くよりはるかに手間のかかる作業です。しかも各曲がプレリュードとフーガのペアになっており、フーガでは対位法の技法が駆使されています。「全部の調でやる」と決めたら最後までやり切る。この構成自体が、頑固さと勤勉さの記念碑のようなものです。

この作品はピアノ音楽の「旧約聖書」とも呼ばれ、教育、コンクール、演奏会など、さまざまな場面で演奏され続けています。楽譜の版は出版社ごとに複数あり、たとえば出版社の楽譜カタログで収録内容を確認してから選ぶと、学習目的に合った版が見つけやすくなります。

第2巻がより「音楽的」と言われる理由

第1巻と第2巻は同じ構成ですが、性格は少し違います。第2巻はより音楽性に富んだ作品が多く、フーガにおいても対位法の冴えを見せ、反行フーガなどは『フーガの技法』に劣らない高密度な作品だと解説されています。

反行フーガとは、主題を上下さかさまにした形(上がる音程を下がる音程に置きかえた形)も組み合わせてつくるフーガのことです。同じ素材をさかさまにしても音楽として成り立たせるには、1音1音の関係を綿密に計算しなければなりません。数学的とも言われるバッハの書法は、こうした技法の積み重ねから生まれています。

学習者がつまずきやすいのは、「平均律は第1巻の1番から順に弾くもの」と思い込むことです。インベンションと同じく、番号順は難易度順ではありません。まずは第1巻の中から、主題が覚えやすく声部の少ない曲を選び、フーガの構造を追う練習から始めると、48曲の世界に入りやすくなります。

読者タイプ別・バッハの性格を知ってから曲に向かう方法

性格の知識は、使い方次第で演奏や鑑賞の手がかりになります。立場によって生かし方が違うので、タイプ別に整理しておきます。

大人の独学者は、「頑固さ=構造の一貫性」と読み替えるのがおすすめです。主題の出現箇所を書き出す作業は、バッハが設計した一貫性を自分の目で確かめる作業でもあります。構造が見えると、暗譜や譜読みのよりどころになります。

子どもにピアノを習わせている保護者は、インベンションが「父が息子のために書いた練習帳」に由来する話を、子どもに伝えてみてください。遠い昔の厳しい作曲家ではなく、子どもに音楽を教えていた父親として紹介すると、教材への距離が縮まることがあります。

聴いて楽しむ人は、フーガで主題が声部から声部へ受け渡される様子を追いかけてみてください。1回目は上の声部、2回目は低い声部と、主題の「居場所」を探すように聴くと、同じ曲が何度でも新しく聴こえます。

性格の知識が演奏の邪魔になるとき

ここまでバッハの性格と作品の関係を見てきましたが、最後に1つ注意があります。性格のイメージを強く持ちすぎると、演奏が窮屈になることがあるのです。

「厳格な人だったから、テンポは一定で表情は控えめに」と考えるのは、よくある思い込みです。実際には、家族のための音楽帳を贈り、イタリアやフランスの華やかな様式も吸収した作曲家です。舞曲のリズムを持つ曲には軽やかさがあり、歌うような旋律には柔らかさがあります。構造が緻密であることと、表情が硬いことは別の話です。

実践的なコツは、曲に取りかかる前に「この曲は誰のために、どんな場面で書かれたか」を1行メモすることです。教会の職務の曲なのか、息子の教材なのか、家族の音楽帳なのか。それだけで、同じバッハでも弾き方の方向性が変わってきます。性格の知識は、演奏を縛る枠ではなく、曲を読み解く地図として使いましょう。

まとめ

🎹 この記事の結論

バッハの性格は真面目・頑固・勤勉の3語で語られます。逸話は出典で読み分け、作品の緻密さから人物像を確かめましょう。

✅ 要点チェック
  • ✔ 性格の3語:真面目・頑固・勤勉が定番の評価
  • ✔ 20歳の事件:厳しい言葉が発端の決闘騒ぎ
  • ✔ 家庭の顔:妻に音楽帳、子どもは20人
  • ✔ 作品の頑固さ:対位法を最後の1音まで徹底
  • ✔ 弾き方:構造は厳格、表情は歌うように

最初の一歩としては、インベンションの1番を開き、冒頭の主題が右手と左手のどこに出てくるかを楽譜に書き込んでみてください。主題の受け渡しを自分の目で追うだけで、「真面目で頑固」と言われたバッハの設計の一貫性が、逸話よりもはっきりと実感できるはずです。

※生没年や逸話の年代・期間は資料によって表記が異なる場合があります。

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この記事を書いた人

ピアノと音楽の教科書編集部です。テーマに関する基礎知識や選び方を、公式情報など確認できる情報をもとに編集しています。掲載後も定期的に見直し、変更があれば更新します。

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