「バッハの平均律に挑戦したいけれど、どの曲から始めればいいのかわからない」「第1巻の1番を開いてみたら、フーガで手が止まってしまった」。平均律クラヴィーア曲集は、ピアノを学ぶ人なら一度は名前を聞く曲集です。一方で、48組もの曲が並んでいるのに、曲ごとの難しさが楽譜の表紙からは読み取れません。そこで順番に弾き始めて挫折する、というパターンがよく起きます。
結論から言うと、平均律の難易度はフーガの声部数を物差しにするとかなり見通せます。声部とは、同時に進む独立した旋律の本数のことです。2声より3声、3声より4声のほうが、頭の中で追う線が増えるぶん難しくなります。入門の1曲として定評があるのは、フーガが3声で書かれた第1巻第6番ニ短調です。
この記事では、声部数という物差しの仕組み、第1巻と第2巻の違い、入門に向く曲の候補、楽譜の版の選び方、そしてコンクールやグレード試験で平均律がどの級に置かれているかまで、出版社・主催者の公式情報をもとに整理します。
・平均律の難しさを「フーガの声部数」で見分ける仕組み
・第1巻と第2巻、どちらから入るべきかとその理由
・入門向けの3曲と、第1巻第1番から始めると詰まる理由
・楽譜の版の選び方と、グレード試験・コンクールでの位置づけ
バッハ平均律の難易度は「フーガの声部数」で読むのが近道

前奏曲とフーガが1組、全24調で2巻ぶんある曲集
平均律クラヴィーア曲集は、前奏曲(プレリュード)とフーガを1組にして、長調12・短調12の全24調を順番に並べた曲集です。第1巻がBWV 846〜869、第2巻がBWV 870〜893で、2巻あわせて48組になります(出典:平均律クラヴィーア曲集 – Wikipedia)。
曲はハ長調、ハ短調、嬰ハ長調……と半音ずつ上がる順で並んでいます。つまり曲番号は「調の順番」であって「難易度の順番」ではありません。ここが最初のつまずきどころです。ブルグミュラーやツェルニーのように「番号が進むほど難しくなる」練習曲集と同じ感覚で1番から開くと、いきなり難度の高い曲にぶつかることがあります。
もともとの対象楽器はチェンバロなどの鍵盤楽器ですが、現代ではピアノで弾くのが一般的です。強弱のつけ方や音の減衰の仕方が違うため、ピアノで弾く場合は「声部ごとに音量のバランスをどう作るか」が演奏上の課題になります。曲集を開く前に、番号は調の並びだと知っておくだけで、選曲の失敗を1つ減らせます。

バッハの録音を聴き比べていると、同じ曲なのにまったく違う楽器で鳴っているものに出会います。片方は音の粒がカリッと立っていて、片方はふっくらと響きが伸びる。前者が…
難易度を測る物差しは「声部数」がいちばん明確
平均律の難しさを判定するときの基準として、学習サイトや指導の現場でよく使われるのがフーガの声部数です。フーガには「声部数」という明確な指標があり、フーガの構造理解が平均律学習の核心だとされています(出典:piano-quest)。
なぜ声部数が物差しになるのか。理由は、声部が1本増えるごとに、両手で担当する旋律の本数が増え、1本の手で2本の旋律を同時に弾き分ける場面が生まれるからです。2声なら右手と左手に1本ずつ振り分けられます。3声になると、どちらかの手が2本を受け持つ場面が出てきます。4声では両手がそれぞれ2本ずつ、という状態が続きます。
もちろん声部数だけですべてが決まるわけではありません。テンポ、調号の多さ、曲の長さでも体感の難しさは変わります。ただ、48組から最初の1曲を選ぶ段階では、声部数で候補を絞り、そのあと調やテンポで調整するのが効率的です。楽譜を開いたら、まずフーガの冒頭に何本の旋律が入ってくるかを数えてみてください。
フーガ=1つの主題が声部を替えながら順番に登場し、互いに絡み合って進む対位法の楽曲。
声部=フーガの中で独立して動く旋律の1本1本。ソプラノ・アルト・テノール・バスのように呼び分けることもある。
対位法=複数の独立した旋律を同時に響かせるための作曲技法。
「平均律」という名前が示しているのは調律の話
曲集名の「平均律」は難易度とは関係がなく、調律に由来する言葉です。この曲集の目的は、全24調で作曲できることを示し、あわせて鍵盤楽器の学習に役立てることにありました。どの調でも実用的に響く調律が前提になっているからこそ、ハ長調から始めて24調すべてに曲を書くことができたわけです。
意外と知られていないのが、原題のドイツ語は「うまく調律された」という意味合いで、現代のピアノが採用している12等分の平均律と完全に同じ調律を指していたかどうかは、研究者の間でも議論があるという点です。日本語の「平均律」という訳語から「均等に割った調律」と理解されがちですが、厳密にはそこまで言い切れません。
練習する側にとって大事なのは、24調すべてが登場するということです。つまり調号が♯や♭6〜7個の調も含まれます。調号の多さは譜読みの負担に直結するので、声部数とあわせて「調号がいくつ付いているか」も確認しておくと、曲選びでの読み違いを減らせます。

なぜ声部が1本増えるだけで弾けなくなるのか
2声から5声まで、段階ごとに求められる力が変わる
声部数ごとの難しさは、おおむね「2声<3声<4声<5声」の順になります。3声が最も一般的で初級〜中級向けが多く、4声は中級〜上級で複雑な対位法が求められ、5声は高度な技術が必要な上級向け、という整理です。
2声フーガは平均律では珍しく、第1巻では第10番ホ短調が唯一の2声フーガです。両手に1本ずつ旋律を振り分けられるため、構造は追いやすいものの、テンポが速く指の動きの細かさが要求されます。声部数が少ない=必ず易しい、とは限らない例です。
3声になると、左右どちらかの手が2本の旋律を担う場面が出てきます。ここで初めて「1本の手の中で、長い音を保ちながら別の指で動く旋律を弾く」という技術が必要になります。4声・5声ではこれが両手で常時起きるため、指の独立性に加えて、声部の出入りを頭で整理し続ける力が求められます。自分が今どの段階の力を持っているかを見極めてから曲を選ぶのが、無理のない進め方です。
| 項目 | 2声 | 3声 | 4声・5声 |
|---|---|---|---|
| 平均律での数 | 珍しい(第1巻では第10番ホ短調のみ) | 最も一般的 | 4声は多め、5声は少数 |
| 手の振り分け | 右手1本・左手1本 | 片手が2本を持つ場面あり | 両手とも2本以上を常時担当 |
| 目安の段階 | 初級向けだが速さに注意 | 初級〜中級 | 中級〜上級/上級 |
ピアノと音楽の教科書調べ(piano-quest・pianolevels等の学習資料の整理をもとに作成)
プレリュードはフーガより易しいことが多い理由
一般に、同じ番号の中ではプレリュードのほうがフーガより易しい傾向があります。理由は曲の作り方の違いにあります。プレリュードは、1つの音型(分散和音や音階的な動き)を繰り返しながら和声を移していく曲が多く、パターンを覚えれば手が次の動きを予測しやすいのです。
フーガは逆に、主題が声部を替えながら何度も現れ、しかも別の声部が同時に対旋律を奏でます。同じ音型が繰り返されるのではなく、主題が「どの声部に、どの高さで、どの指で」出てくるかが毎回変わるため、パターン暗記が効きにくい構造です。
ただし、曲によって差が大きい点には注意が必要です。プレリュードのほうがテンポが速く、技術的にはフーガより手ごわい組もあります。「プレリュードが弾けたから、フーガもそのまま行ける」と判断するのではなく、フーガの声部数を別に確認するのが安全です。組で練習する場合は、プレリュードで調の響きと指の配置に慣れてから、フーガの譜読みに入る順番が効率的です。
同じ3声でも難しさに差が出る3つの要因
声部数が同じでも、体感の難しさは曲ごとに違います。差を生む要因は主に3つあります。1つ目は調号の数です。♯や♭が多い調は、黒鍵の配置が複雑になり、運指の選択肢も変わります。2つ目は主題の長さと形です。短くて特徴のはっきりした主題は、別の声部に移っても耳と目で見つけやすく、構造を追いやすくなります。
3つ目はストレッタの有無です。ストレッタとは、1つの声部の主題が終わる前に、別の声部で同じ主題が始まって重なり合う技法です。主題同士が重なるため、手の中で同時に処理する情報量が一気に増えます。第2巻のフーガでは、ストレッタなどの高度な技法がより多く使われるとされています。
独学で難易度を見積もるときは、「声部数→調号の数→主題が重なる箇所があるか」の順に楽譜を眺めるとよいでしょう。主題に鉛筆で印をつけていくと、重なりの多さが目で見てわかります。印が密集している曲ほど、譜読みに時間がかかると考えておけば、練習計画を立てやすくなります。
第1巻と第2巻、先に開くべきなのはどちら?

第1巻は息子の教育から生まれた「練習曲寄り」の巻
先に取り組むなら第1巻が基本です。第1巻は1722年の成立で、息子ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの教育用に書いた初期稿をもとに、編曲・集成して作られました。約半数の曲は、フリーデマンのためのクラヴィーア小曲集から採られて改作されたものとされています(出典:ピティナ・ピアノ曲事典 第1巻)。
成り立ちが教育目的なので、第1巻は練習曲的な要素が強く、フーガの声部構成も2声から4声のあいだで、主に3声が中心です。つまり「声部数で難易度を段階づけて学ぶ」という進め方に向いています。
ただし、教育用だから易しいという意味ではありません。第1巻は「旧約聖書」と呼ばれるほど重要な教育的作品とされ、シンフォニアを仕上げた後に取りかかる水準だと位置づけられています(出典:pianolevels)。第1巻から始めるのは「易しいから」ではなく「段階を踏みやすいから」だと理解しておくと、1曲目で思ったより苦戦しても焦らずに済みます。
第2巻は20年後の晩年作、前奏曲の形から変わる
第2巻は1742〜1744年頃の成立で、第1巻のおよそ20年後にまとめられた晩年の作品です(出典:ピティナ・ピアノ曲事典 第2巻)。平均的な難易度は第1巻より高く、学習段階としては第1巻を経験してから進むのが一般的です。
難しくなる理由の1つは前奏曲の形式です。第2巻の前奏曲には、前半と後半を反復する二部形式で、のちのソナタ様式に近づいた構成のものが含まれます。曲が長くなり、転調の道筋を把握する必要が出てきます。
もう1つはフーガの書法で、より洗練された対位法、ストレッタなどの技法が多く使われます。第1巻では主題を追えていた人でも、第2巻では主題の変形や重なりに気づけずに迷子になることがあります。第2巻に進む目安は、第1巻の3声フーガを複数曲、声部を歌い分けながら弾き通せるようになった段階です。第2巻にも比較的取り組みやすい曲はあるので、「第2巻は全曲が上級」と決めつけないことも大切です。
失敗パターン:第1巻第1番から順に弾き始めて止まる
独学でいちばん多い失敗が、第1巻を開いて第1番ハ長調から順に弾き始めるケースです。第1番のプレリュードは分散和音が続く穏やかな曲で、聴き覚えのある人も多く、無理なく弾けることが多いでしょう。ところがフーガに進むと、4声で主題が何度も重なり合う書法になっていて、そこで手が止まります。
原因は、先ほど触れた「曲番号は調の順番であって難易度順ではない」という構造にあります。第1番のプレリュードは易しいが、フーガは高難度で初心者向けではない、という組み合わせです。プレリュードの手応えでフーガの難しさを見誤るわけです。
対策は2つあります。1つは、最初の1曲を声部数で選び直すこと。3声フーガの入門向け候補から始めて、4声は後回しにします。もう1つは、第1番を弾きたい場合はプレリュードだけを先に仕上げ、フーガは3声の曲を何曲か経験してから戻ってくることです。「1番から順に全部弾く」という目標は、曲集を一通り経験したあとの楽しみにとっておくのが現実的です。
平均律の曲番号は「ハ長調→ハ短調→嬰ハ長調……」という調の順番です。1番が最も易しいわけではありません。第1巻第1番はプレリュードは弾きやすくても、フーガは4声で主題が重なり合う高難度の曲です。1曲目は番号ではなく、フーガの声部数で選びましょう。
最初の1曲はどれ?入門に向く3曲と選ぶ理由
第1巻第6番ニ短調が「入門の1曲」と呼ばれる理由
平均律の入門として最も定評があるのが、第1巻第6番ニ短調です。フーガが3声で書かれていて、旋律が美しく親しみやすく、技術的な難しさが入門にちょうどよいとされています(出典:kennyaku-comp)。
入門向きの理由を構造から見ると、まず調号が♭1つと少ないことが挙げられます。ニ短調は譜読みで迷う黒鍵が少なく、声部を追うことに集中しやすい調です。次に、3声というのは「片手が2本の旋律を持つ」経験を初めて積むのにちょうどよい規模です。4声のように常に両手が2本ずつ担う状態にはならないため、声部の出入りを1つずつ確認しながら進められます。
つまずきやすいのは、主題に含まれる装飾音と、中声部がどちらの手に属するかの判断です。楽譜の段(上段・下段)と、実際にどちらの手で弾くかは必ずしも一致しません。版によって運指の提案が違うので、指使いの記載がある版を使い、中声部の担当を最初に鉛筆で書き込んでから練習に入ると、途中で手が絡まる事態を防げます。
第1巻第2番ハ短調と第2巻第2番ハ短調
第6番の次の候補として挙がるのが、第1巻第2番ハ短調です。こちらもフーガが3声で、主題が明快なので、別の声部に移っても見つけやすいのが特徴です。プレリュードは両手が細かい音符で動き続ける曲で、指の均一さを鍛える練習にもなります。
第2巻から入門曲を選ぶなら、第2巻第2番ハ短調が候補です。部分的に4声になる箇所がありますが、段階的に学習可能な曲とされています。第1巻で3声フーガに慣れたあと、「4声が一時的に現れる」曲で次の段階に触れる、という位置づけで使うと効果的です。
ここで注意したいのは、同じハ短調でも第1巻第2番と第2巻第2番は別の曲だということです。楽譜を注文するとき、あるいは録音を探すとき、「平均律 ハ短調」だけで検索すると取り違えが起きます。巻数と番号、BWV番号(第1巻はBWV 846〜869、第2巻はBWV 870〜893)をセットで確認してください。3曲とも短調ですが、これは偶然ではなく、入門向けとして挙げられる曲に主題の輪郭がはっきりした短調曲が多い、という傾向の反映です。
| 第1巻第6番ニ短調 | フーガ3声。平均律入門として最も定評がある1曲 |
| 第1巻第2番ハ短調 | フーガ3声。主題が明快で声部を追いやすい |
| 第2巻第2番ハ短調 | 部分的に4声。第1巻の3声を経験した後の次の段階に |
| 後回しにしたい曲 | 第1巻第1番ハ長調のフーガ(4声で主題の重なりが多い) |
出典:piano-quest、kennyaku-comp、ピティナ・ピアノ曲事典ほかの記載を整理
バルトーク版の難易度順という「もう1つの物差し」
声部数とは別の物差しとして知られているのが、作曲家バルトークが校訂した版での曲の並べ方です。バルトークは平均律の曲を、調の順ではなく学習しやすい順に並べ替えて出版しました。この難易度順では、第2巻第15番ト長調が最初に置かれており、第1巻の中では第6番ニ短調がやさしい側に位置づけられています(出典:azjuku)。
面白いのは、声部数で見た入門曲の第1巻第6番が、バルトークの並びでも前の方に来ている点です。異なる物差しで同じ曲が入門向けとされているのは、その曲の入門向きの評価に裏付けがあることを示しています。
一方で、「第2巻は全部難しい」と思い込んでいた人にとっては、第2巻の曲が最初に置かれているのは意外かもしれません。巻の平均的な難易度と、個々の曲の難易度は別物だということです。ただし、バルトークの順番はあくまで1人の校訂者による判断で、出版社の公式な級表記とは性質が違います。複数の物差しを重ねて、共通して易しいとされる曲から手をつけるのが、独学でも失敗しにくい選び方です。
平均律に入る前に、どこまで弾けていればいいのか
目安は「シンフォニアを仕上げた後」
平均律第1巻は、シンフォニアをマスターした後に取りかかる水準とされています。シンフォニアはバッハの3声の鍵盤曲集で、2声のインヴェンションの次に学ぶ曲集として知られています。つまりバッハの鍵盤曲の学習順は、おおむね「2声のインヴェンション→3声のシンフォニア→平均律」という階段になっています。
この順番には理由があります。平均律の入門曲の多くは3声フーガです。3声を扱う力は、シンフォニアで「片手が2本の旋律を持つ」「長い音を保ちながら別の指で動く」経験を積んで初めて身につきます。インヴェンションだけの経験で平均律に入ると、3声の処理そのものに慣れていないため、1曲に何か月もかかってしまいがちです。
見極めの目安は、シンフォニアのうち何曲かを、各声部を片手ずつ・2声ずつ取り出して弾いたうえで、3声を合わせても主題を聴き分けられる状態かどうかです。全曲を仕上げている必要はありませんが、3声の曲を複数経験していることが望ましい土台です。
失敗パターン:ブランク明けの大人が「昔弾けた曲の続き」で選ぶ
子どもの頃にインヴェンションまで進んでいた大人が、再開後にいきなり平均律を選んで行き詰まる、というケースもよくあります。原因は、ブランク前の到達点と、今の指と譜読みの状態がずれていることです。以前の自分なら次に弾くはずだった曲集、という基準で選ぶと、3声を処理する土台が抜けたまま挑戦することになります。
もう1つの原因は、大人は曲の完成形を耳で知っていることが多いため、録音のテンポを基準にしてしまう点です。フーガをいきなり速いテンポで合わせようとすると、声部の出入りを確認する余裕がなくなり、どこで主題が入ったのかわからないまま指だけが動く状態になります。
対策は、再開後の最初の数か月はインヴェンションやシンフォニアを数曲弾き直し、3声の感覚を取り戻してから平均律に入ることです。遠回りに見えますが、平均律の入門曲をゆっくり通せるようになるまでの時間は、結果的に短くなることが多いでしょう。何か月で弾けるようになるかは練習時間や経験で大きく変わるため、期間ではなく「声部を歌い分けて通せるか」で到達を判断してください。
声部ごとに分けて組み立てる練習の順番
3声フーガの練習は、いきなり両手で合わせるのではなく、声部ごとに分解して組み立てるのが基本です。理由は、フーガの難しさが「指の速さ」ではなく「複数の旋律を同時に処理すること」にあるからです。処理する情報量を段階的に増やせば、1回の練習で扱う負荷を一定に保てます。
具体的には、まず主題がどこに登場するかを楽譜に印をつけて確認し、次に各声部を単独で弾いて旋律として歌えるようにします。そのうえで2声ずつ組み合わせ、最後に3声を合わせます。このとき、弾く手とは関係なく「声部」の単位で分けるのがポイントです。片手の中に2声部があるなら、その片手の中でも分けて練習します。
「これでOK」の見極めは、3声を合わせた状態で、任意の1声部だけを大きめに浮かび上がらせて弾けるかどうかです。これができれば、声部が頭の中で独立しています。できない場合は、まだ2声の組み合わせの段階に戻る余地があります。
楽譜は「原典版+解釈版」の2冊で考える
原典版をメインに、解説の多い版を参考に使う理由
平均律の楽譜選びでは、信頼できる最近の原典版をメインに使い、詳しい解説を持つ解釈版を参考用として組み合わせることが推奨されています(出典:pianolevels)。
原典版は、自筆譜や初期の筆写譜をもとに、作曲家が書いた音をできるだけ正確に再現しようとする版です。バッハの鍵盤作品は、強弱記号やテンポ指示がほとんど書かれていないのが特徴です。原典版はこの「書かれていない」状態を保つので、楽譜は白っぽく見えます。
一方の解釈版は、校訂者が強弱・アーティキュレーション・運指・声部の見分け方などを書き込んだ版です。独学の人にとって役立つ情報が多い反面、それは校訂者の解釈であって、バッハが書いたものではありません。原典版だけでは手がかりが少なく、解釈版だけでは他人の解釈を唯一の正解と誤解しやすい。だから2冊を並べて使うのが合理的なのです。
ヘンレ版とウィーン原典版の違いは「運指の考え方」
ヘンレ社の原典版は、国内でも人気の高い版です。第1巻にはハイネマンの校訂による1997年改訂版があり、ピアニストのアンドラーシュ・シフが運指を付けています(出典:ヤマハミュージックエンタテインメント シートミュージック)。シフの運指は実践的で弾きやすいと評価されています。
ウィーン原典版は、音楽之友社から国内版が出ている原典版で、合理的な運指が提案されているのが特徴です。左手の一部を右手の親指で取るなど、声部の担当を手の都合に合わせて自然に振り分ける運指が示されています(出典:音楽之友社)。
どちらも原典版なので音そのものの違いは小さく、差が出るのは主に運指です。3声・4声のフーガでは、中声部をどちらの手で取るかで弾きやすさが大きく変わります。書店や楽器店で実物を見られるなら、入門曲の第1巻第6番のページを開き、中声部の運指がどう書かれているかを比べてみると、自分に合う版を判断しやすくなります。
| 版 | 性格 | 特徴 | 向いている人 |
|---|---|---|---|
| ヘンレ版 | 原典版 | 第1巻はシフの実践的な運指付き | 初級から上級まで |
| ウィーン原典版 | 原典版 | 合理的で弾きやすい運指の提案 | 運指で迷いやすい人 |
| ベーレンライター版 | 新バッハ全集に基づく原典版 | 最新の音楽学的研究を反映した学術版 | 上級者・研究目的 |
| ペータース版 | 原典版 | 比較的入手しやすい | 初級から中級 |
ベーレンライター版・ペータース版・国内版の使い分け
ベーレンライター版は新バッハ全集に基づく原典版で、最新の音楽学的研究を反映した権威ある版です。上級者や研究目的の人向けとされ、資料としての信頼性を重視する場合に選ばれます。運指の手助けを期待する入門段階の人には、情報が少なく感じられるかもしれません。
ペータース版は、原典版の楽譜を比較的手頃に手に入れられる版として知られ、初級から中級の人の学習開始に適しているとされています。国内出版社では、全音楽譜出版社や音楽之友社からも平均律の版が出ており、国内で入手しやすいのが利点です。
読者タイプ別に整理すると、独学で運指の手がかりがほしい人はヘンレ版かウィーン原典版、先生について習っている人は先生が指定する版、学術的な正確さを求める人はベーレンライター版が軸になります。価格は版や販売店、為替で変わるため、購入前に出版社や公式販売店のページで確認してください。解釈版をもう1冊加えるかどうかは、原典版で1曲弾いてみて、強弱や声部の判断に迷う場面が多いかどうかで決めると無駄がありません。
コンクールやグレード試験では平均律は何級の曲?
ピティナ・ピアノコンペティション2026年度はE級で登場
ピティナ・ピアノコンペティションでは、2026年度(第50回)のソロ部門E級の課題曲として、バッハ「平均律クラヴィーア曲集 第1巻・第2巻の指定の曲より1曲選択」が指定されています(出典:ピティナ・ピアノコンペティション 課題曲)。
E級は中級〜上級にあたる級です。つまり主催者の設計の上でも、平均律はバロック期の課題として中級以上の段階に置かれていることがわかります。ここで注意したいのは「指定の曲より」という条件です。全48組のどれでもよいわけではなく、主催者が指定した曲の中から選ぶ形になっています。
コンクールを視野に入れている場合、選曲は声部数と自分の得意不得意の両方で考えます。3声で主題が明快な曲は構造を聴かせやすく、4声の曲は声部の弾き分けがはっきり審査で問われます。課題曲は年度ごとに変わるので、翌年度以降の参加を検討している場合は、その年度の要項で指定曲を確認してから練習曲を決めてください。

カワイ4級・ヤマハ3級以上という位置づけ
カワイのピアノグレードテストでは、4級でバッハ「平均律クラヴィーア曲集 1・2巻」よりプレリュード・フーガが課題として指定されており、4級が平均律が導入される段階にあたります(出典:カワイ音楽教育研究会 グレードテスト)。曲はカワイのテキストで指定された曲から選ぶ形です。
ヤマハ音楽振興会のピアノグレードでは、3級でバロック作品として平均律以上のレベルが選曲の目安とされています(出典:ヤマハ音楽振興会 グレード)。ヤマハとカワイでは級の番号の意味が違い、同じ「4級」「3級」でも到達水準は一致しません。級番号だけを横に並べて比べるのは避けましょう。
2つの団体に共通しているのは、平均律が中級以上の、バロック作品の中心として扱われている点です。グレード試験の課題として平均律を学ぶ場合は、試験年度の要項と指定テキストを必ず確認し、級で求められる曲の範囲の中から声部数の少ない曲で基礎を固めてから、本番の曲に取り組むのが安全です。
級表記を自分の練習計画に落とし込む方法
コンクールやグレード試験に出る予定がなくても、主催者の級表記は練習計画の物差しとして役立ちます。平均律がE級やカワイ4級、ヤマハ3級以上の水準に置かれているということは、そこに至るまでの級で扱われるバロック曲、たとえばインヴェンションやシンフォニアの段階を経ていることが想定されている、ということです。
独学の人は、自分の現在地を「どの級の課題を弾けるか」で見積もると、平均律に進む時期を客観的に判断できます。弾ける曲が中級の入り口に届いていない段階なら、平均律は目標として持っておき、今はシンフォニアを進めるのが近道です。
注意したいのは、級表記を「合格すれば弾ける」という意味に読み替えないことです。級は試験の設計上の目安であって、合格や上達の期間を保証するものではありません。級は現在地を知る地図として使い、実際の選曲は声部数と調号で判断する、という役割分担にすると、表記に振り回されずに済みます。
独学で平均律を続けるための選び方と進め方
読者タイプ別の最初の1冊・最初の1曲
平均律への入り方は、今の経験によって変わります。まず、シンフォニアまで経験していてこれから平均律を始める人は、第1巻第6番ニ短調から入り、第1巻第2番ハ短調へ進むのが標準的な道筋です。楽譜は運指の手がかりがあるヘンレ版かウィーン原典版が扱いやすいでしょう。
インヴェンションまでで止まっている人は、平均律を開く前にシンフォニアを数曲経験するのが近道です。平均律のプレリュードだけを先に楽しむ方法もありますが、フーガに入るのは3声に慣れてからにします。
子ども時代に平均律を何曲か経験していて再開する大人は、以前弾いた曲の復習から入り、声部の感覚を取り戻したら新しい3声フーガへ進みます。第2巻に興味がある人は、バルトークの並びで最初に置かれている第2巻第15番ト長調や、部分的に4声になる第2巻第2番ハ短調を次の段階の候補にすると、巻をまたいでも段階が急になりにくくなります。
録音を聴くときは「主題を追う」聴き方に切り替える
平均律の練習では、録音の聴き方も上達を左右します。ポイントは、曲全体の雰囲気を楽しむ聴き方から、主題がどの声部に出てくるかを追う聴き方に切り替えることです。フーガの構造理解が学習の核心だとされる理由は、構造が見えていないと、どの旋律を浮かび上がらせればいいかがわからないからです。
具体的には、楽譜に主題の印をつけた状態で録音を聴き、主題が登場するたびに指で楽譜の該当箇所を指します。追いつけない箇所は、自分が構造を把握できていない箇所でもあるので、練習で重点的に扱うべき場所の目印になります。
つまずきやすいのは、1種類の録音だけを手本にしてしまうことです。バッハの鍵盤作品は楽譜に強弱やテンポの指示が少ないため、演奏者によってテンポもアーティキュレーションも大きく違います。チェンバロの録音とピアノの録音を1つずつ聴き比べるだけでも、「楽譜に書かれていない部分は解釈の幅がある」ことが実感でき、自分の演奏の判断材料が増えます。

1曲を仕上げたら次をどう選ぶか
最初の1曲を通せるようになったら、次の曲は「1つだけ条件を変える」選び方がおすすめです。たとえば、3声のまま調号を増やす、あるいは調号の少ない調のまま4声に進む、という具合です。条件を1つずつ変えれば、難しく感じたときに何が原因かを切り分けられます。
逆に、声部数も調号も一度に増えた曲を選ぶと、つまずいたときに「声部の処理が追いつかないのか、黒鍵の運指が決まらないのか」が判別できません。原因がわからないまま練習時間だけが増える、という状態に陥ります。
もう1つの目安は、1曲の完成度をどこで区切るかです。平均律は1曲ごとに学べる内容が異なるので、1曲を完璧に仕上げるより、声部を歌い分けて通せる段階で次の曲へ進み、しばらくしてから戻って磨き直すほうが、曲集全体への理解が深まります。何曲目でどの段階に達するかは人によって違うため、曲数ではなく「新しい曲の譜読みにかかる時間が短くなってきたか」を進歩の指標にしてください。
まとめ
最初の一歩は、手元の楽譜で第1巻第6番ニ短調のフーガを開き、主題が登場する箇所すべてに鉛筆で印をつけることです。印をつけるだけで、3本の旋律がどう絡み合っているかが目に見えるようになり、弾き始める前に曲の地図が手に入ります。
※課題曲・級区分・楽譜の版や価格は年度や時期によって変わるため、最新情報は各主催者・出版社の公式サイトでご確認ください。

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