「ピョートル チャイコフスキー作曲」で検索すると、バレエ音楽やオーケストラ作品の題名ばかりが並びます。ところが実際にピアノの前に座って、自分が弾ける曲を探そうとした途端に手が止まります。名前は知っているのに、どの曲が自分の手に届くのかがどこにも書かれていないからです。
結論から言えば、この作曲家のピアノ作品は3つの層に分けて考えると迷いません。バイエルを終えた段階から入れる《こどものためのアルバム》Op.39、中級に位置づけられる《四季》Op.37a、そしてコンサートの舞台に載る《ピアノ協奏曲第1番》Op.23です。曲数も版元も難易度の表記も出版社が公開しているので、感覚ではなく資料で判断できます。
この記事では、1840年生まれのこの作曲家がどういう音楽をつくった人なのかという背景から、作品ごとの規模と楽譜の版の違い、そして独学で止まりやすい箇所までを、出版社と主催者の公式情報をもとに整理します。曲名を覚えるための記事ではなく、次に開く楽譜を1冊決めるための記事です。
・チャイコフスキーのピアノ作品を「入口・中級・頂点」の3層で整理する方法
・《四季》Op.37aと《こどものためのアルバム》Op.39の楽譜の版と価格の違い
・「演奏不可能」と言われたピアノ協奏曲第1番が定番になるまでの経緯
・独学で音が濁る・止まる箇所と、楽譜を選ぶときに確認する項目
ピョートル チャイコフスキー作曲の音楽が「ロシア的なのに聴きやすい」のはなぜか

53年の生涯を、まず1枚で押さえる
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは1840年5月7日にロシア帝国ヴャトカ県ヴォトキンスク市で生まれ、1893年11月6日にサンクトペテルブルクで亡くなりました。享年53歳です。活動期間は1860年代から1893年までで、作曲家としての人生はおよそ30年ほどしかありません。バレエ3作もピアノ協奏曲も交響曲も、この短い期間に集中して書かれています。
生没年を調べていると、資料によって日付が2週間ほどずれていることがあります。これは誤記ではなく暦の違いです。当時のロシアで使われていたユリウス暦では、生年月日は4月25日、没年月日は10月25日にあたります。日本の資料の多くはグレゴリオ暦で表記しているため、ロシア語圏の資料と突き合わせるとずれて見えるわけです。作曲年や初演日を調べるときも、どちらの暦かを意識しておくと混乱しません。
ピアノ作品を選ぶうえでこの年表が効いてくるのは、「どの時期の作品か」で書法が変わるからです。後述するピアノ協奏曲第1番は1874年から1875年、《四季》は1875年から1876年、《こどものためのアルバム》は1878年と、代表的なピアノ作品は1870年代後半に密集しています。同じ時期に、規模も難易度もまったく違う3種類の作品が並行して書かれていたことになります。
約12年間、音楽院で理論を教えていた作曲家だった
意外と知られていないのですが、チャイコフスキーは長く教壇に立っていた人です。サンクトペテルブルクの音楽院を1865年12月に卒業したあと、1866年にモスクワ音楽院の理論講師として着任し、作曲に専念するために辞職する1878年10月まで、約12年間この職にありました。
この経歴は作品の性格に直結しています。和声法や対位法を教える立場にいた人が書いた曲なので、旋律が自由に流れているように聴こえる場面でも、内声の動きや和音のつながりには理屈が通っています。逆に言えば、右手の旋律だけを追って弾くと曲が痩せてしまうということでもあります。左手と内声に何が起きているかを目で追う価値がある作曲家です。
また、辞職の年である1878年に《こどものためのアルバム》Op.39が書かれている点も見逃せません。24曲の子ども向け曲集は、教える仕事を12年続けた人物が、教える側の視点を持ったまま書いた曲集だと考えると納得がいきます。「子ども向け=手抜き」ではなく、「学習者が何につまずくかを知っている人が書いた教材」という読み方ができます。
西欧の技法とロシア民謡が同居する「抒情的楽想」
チャイコフスキーの様式は、19世紀ロマン派の枠組みのなかで、西欧の音楽技法とロシアの民俗音楽を融合させたものだと説明されます。Bunkamuraの解説では「西欧のロマン派とロシアの民俗音楽を融合した美しいメロディを特徴としています。特に、チャイコフスキーは自ら『抒情的楽想』と呼ぶ感情豊かで洗練されたメロディを次々と生み出しました」と述べられています。
ここで大事なのは、民謡そのものを引用しただけの音楽ではないという点です。ロシア的な題材や旋律線を、ドイツ・ロマン派から学んだ形式感と和声で組み立て直している。だから聴き手にはロシアの色が伝わるのに、和声進行は西欧的で耳になじむ、という二重性が生まれます。メロディーラインが口ずさめるほど明快であることも、この作曲家が広く親しまれている理由として挙げられます。
弾く側にとっての実利もあります。旋律が歌えるということは、暗譜がしやすく、フレーズの切れ目も判断しやすいということです。譜読みの初期段階で、まず旋律を声に出して歌ってみる。歌えるところまでテンポを落とすと、指が回らない原因が運指なのかテンポ設定なのかを切り分けられます。
パトロンの存在が、作曲の自由をつくった
1876年からは、ナデージダ・フォン・メック夫人という支援者がつきます。この後ろ盾があったからこそ、1878年10月に音楽院の職を辞して作曲に専念する選択ができました。生活のために書く必要が薄れた時期に、規模の大きな作品と小さな曲集の両方が並行して生まれたのは偶然ではありません。
この背景を知っていると、作品の性格の幅にも説明がつきます。演奏会用の大規模作品と、家庭で弾かれることを前提にした小品集が、同じ数年のあいだに書かれている。どちらかが「本気の作品」でどちらかが「余技」なのではなく、想定している演奏の場が違うだけです。ピアノ学習者にとっては、この幅がそのまま選択肢の広さになります。
| 生没年 | 1840年5月7日(ユリウス暦4月25日)〜1893年11月6日(ユリウス暦10月25日)/53歳 |
| 出身・没地 | ロシア帝国ヴャトカ県ヴォトキンスク市/サンクトペテルブルク |
| 主な職歴 | モスクワ音楽院 理論講師(1866年〜1878年10月、約12年間) |
| 様式 | 19世紀ロマン派。西欧の音楽技法とロシア民俗音楽の融合 |
| 主要ピアノ作品 | ピアノ協奏曲第1番Op.23/四季Op.37a/こどものためのアルバムOp.39/ドゥムカOp.59 |
ピアノ作品は「入口・中級・頂点」の3つの層に分かれている
Op.39が入口、Op.37aが真ん中、Op.23が頂点
この作曲家のピアノ作品を難易度順に並べると、きれいに3つの層になります。入口は《こどものためのアルバム》Op.39です。音楽之友社の解説によれば1878年に作曲された子ども向けの24曲集で、難易度の目安はバイエル終了程度とされています。真ん中が《四季》Op.37aで、12曲すべてが中級(全音楽譜出版社の難易度区分で4〜6)に位置づけられます。頂点が《ピアノ協奏曲第1番》Op.23で、これはオーケストラを伴う演奏会用作品です。
この3層のあいだには、飛び越えられないほどの断絶はありません。Op.39で和音の握り方と歌わせ方に慣れ、Op.37aで内声の扱いとペダルを覚えると、この作曲家特有の書き方には身体が慣れていきます。逆に、いきなり真ん中の層から入って「思ったより弾けない」と感じる人は、技術ではなく曲集の選び方の段階でつまずいています。
層を意識するもうひとつの利点は、練習の見通しが立つことです。「四季の全12曲を弾く」ではなく「まず3月を仕上げ、次に手が届きそうな1曲を選ぶ」という単位に落とせます。曲集を最初から順番に潰す必要はありません。
「有名な曲=弾きやすい曲」ではない
ここでつまずく人が多いのですが、知名度と難易度はまったく連動していません。チャイコフスキーの名前で真っ先に思い浮かぶのはバレエ音楽やピアノ協奏曲第1番の冒頭でしょう。ところが協奏曲はオーケストラとの共演を前提にした作品で、演奏時間は約35分。ピアノ独奏で完結する曲ではありません。
一方、名前を知らない人のほうが多い《こどものためのアルバム》Op.39には、24曲それぞれに「木馬遊び」「バーバ・ヤガー」といった題名がついていて、1曲は短く、バイエル終了程度から取り組めます。つまり、聴いたことがある曲ほど遠く、聴いたことがない曲ほど近い、という逆転が起きているわけです。
選曲の順番としては、まず「独奏用に書かれているか」を確認し、次に出版社の難易度表記を見る、という2段階で判断してください。編曲版の場合、原曲の難易度とはまったく別物になります。この点は後の章で詳しく扱います。

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ドゥムカOp.59とスラブ行進曲Op.31はどこに置くか
3層に収まりきらない作品もあります。《ドゥムカ-ロシアの農村風景》Op.59はハ短調のピアノ曲で、フランスのピアニスト・ペダゴーグであるマルモンテルからの委嘱で書かれました。18世紀ポーランド民謡の形式である「ドゥムカ形式」に基づいた作品で、ロシア民族音楽の要素が前面に出ています。難易度としては中程度以上で、《四季》の上に置かれる位置づけです。
《スラブ行進曲》Op.31はもともとオーケストラ作品で、吹奏楽版やピアノ編曲版が存在します。ピアノで弾く場合は必ず編曲を経由することになるので、「原曲を弾く」という感覚では扱えません。編曲者によって音の数も難易度も変わるため、楽譜を選ぶ段階で編曲者名まで見る必要があります。
この2曲を知っておく意味は、《四季》を弾き終わったあとの行き先が見えることです。中級の12曲を数曲仕上げた段階で、次に何を開くか決められないまま止まってしまう人は少なくありません。ドゥムカという選択肢を頭に入れておくと、その空白期間が短くなります。
| 項目 | こどものためのアルバムOp.39 | 四季Op.37a | ピアノ協奏曲第1番Op.23 |
|---|---|---|---|
| 作曲年 | 1878年 | 1875年〜1876年 | 1874年11月〜1875年2月 |
| 規模 | 24曲の小品集 | 12曲の特性小品集 | 3楽章/演奏時間 約35分 |
| 難易度の目安 | バイエル終了程度 | 中級(全音の区分で4〜6) | 演奏会用。オーケストラとの共演が前提 |
| 楽譜(全音) | 1,100円/40頁/菊倍判 | 1,540円/68頁/菊倍判 | 全楽章のメドレー編曲版(12頁)を刊行 |
| 楽譜(音楽之友社) | 990円/40頁(2021年10月) | 1,870円程度/64頁(2025年12月) | ミニチュア・スコア1,650円程度/192頁 |
「演奏不可能」と言われた協奏曲第1番が、定番曲になるまで

1874年11月から1875年2月に書かれた変ロ短調
《ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調》Op.23は、1874年11月から1875年2月にかけて作曲されました。3楽章構成で、第1楽章はAllegro non troppo e molto maestoso – Allegro con spirito、第2楽章はAndantino semplice – Prestissimo – Quasi andante、第3楽章はAllegro con fuocoです。演奏時間は約35分、内訳は第1楽章が約20分、第2楽章が約7分30秒、第3楽章が約7分とされています。
楽章ごとの時間配分を見ると、この作品の重心が第1楽章にあることがわかります。全体の半分以上を第1楽章が占めていて、後半2楽章を合わせても第1楽章に届きません。誰もが知っているあの冒頭は、その長い第1楽章の入口にすぎないわけです。
調号にも注目してください。変ロ短調は♭が5つつく調です。冒頭の壮麗な響きは変ニ長調で鳴りますが、作品全体の調は変ロ短調。この「入口と本体の調が違う」構造が、聴いたときの印象と楽譜を開いたときの印象を大きく食い違わせます。
草稿を聴かせた相手から、正面から否定された
この作品には有名な経緯があります。1874年のクリスマスに、チャイコフスキーは草稿段階の協奏曲をモスクワ音楽院院長ニコライ・ルビンシテインに聴かせました。ところら返ってきたのは激しい非難で、「陳腐で不細工であり、演奏不可能」という趣旨の批判だったと伝えられています。
ここで作曲家がとった行動が興味深いところです。彼はこの批判を受け入れて書き直すのではなく、批判を無視したまま、献呈先をハンス・フォン・ビューローに変更しました。作品の価値判断を、目の前の権威ではなく別の演奏家に委ねたわけです。
ただし、この逸話は「批判が間違っていた」という単純な話でもありません。ルビンシテインはのちに自らこの作品をモスクワで指揮し、ソリストとしても演奏して、普及に貢献しています。最初の評価が覆った例として語られることが多い作品ですが、覆したのは批判者自身でもありました。
初演の舞台は、ロシアではなくボストンだった
初演は1875年10月25日、アメリカのボストンで行われました。ピアノはハンス・フォン・ビューロー、指揮はベンジャミン・ジョンソン・ラングです。ロシアの作曲家の代表作が、ロシアではなくアメリカで初演されたという点は、この作品の来歴を象徴しています。
ボストンでの初演は成功を収め、そのあとモスクワでの初演につながりました。作曲から初演までおよそ半年強、批判を受けてから1年足らずで評価が反転していることになります。作品の完成度そのものは変わっていないのに、演奏者と場が変わっただけで受け取られ方が変わった例です。
ピアノを学ぶ立場からこの経緯に学べることがあるとすれば、難易度の評価は絶対的なものではないということでしょう。「演奏不可能」と言われた作品が、現在は世界中の演奏会で繰り返し演奏されている。同じように、いま「自分には無理」と感じる曲も、テンポの設定や運指を変えれば手が届く可能性があります。

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冒頭の和音は、初版とは違う音で書かれていた
もうひとつ、楽譜を扱ううえで実務的に重要な事実があります。この作品は初版のあと、1879年夏に第1改訂、1888年12月に第2改訂を経ています。とくに冒頭部分は、初版ではアルペッジョ(分散和音)で書かれていたものが、改訂版では和音に変更されました。現在よく耳にするあの打ち込むような冒頭は、改訂後の形です。
ここで起きるのが最初の失敗パターンです。録音を聴いて覚えた冒頭と、手元の楽譜に書かれた音が一致せず、「自分の聴き取りが間違っている」と思い込んでしまうケースがあります。原因は耳ではなく版の違いです。校訂報告や解説に「初版に基づく」と書かれているか、改訂版に基づくかを確認すれば、その場で解決します。
対策は単純で、楽譜を買う前に版元の商品説明で校訂者名と底本を確認することです。音楽之友社のミニチュア・スコア(OGT-0037、192頁、堀内敬三解説)のように、版元ページに解説者と仕様が明記されている商品を選べば、あとから食い違いに悩む時間を減らせます。
録音と楽譜で音が違うとき、疑うべきは自分の耳ではなく「版」です。ピアノ協奏曲第1番は初版から1879年夏と1888年12月の2度改訂され、冒頭がアルペッジョから和音に変わっています。楽譜を選ぶ段階で、底本と校訂者を商品ページで確認しておきましょう。
《四季》Op.37aは、12曲を通しで弾く曲集ではない
1年12か月を描いた、特性小品としての12曲
《四季》Op.37aは1875年から1876年にかけて書かれた12曲の曲集です。「四季」という題名から4曲だと思われがちですが、実際には1年の各月に対応する12曲で構成されています。音楽之友社の英文解説でも、この作品は「一年の各月を描く12の性格的小品」と説明されています。
それぞれの曲は独立していて、物語としてつながっているわけではありません。ロシアの季節と人々の生活が、月ごとの情景として切り取られています。だから頭から順に全曲を弾く必要はなく、気に入った月、あるいは手が届く月から選んで構いません。この点が、番号順に進むことを前提とした練習曲集との決定的な違いです。
発表会で1曲だけ演奏する、という使い方とも相性がよい曲集です。1曲が独立した情景を持っているので、単独で演奏しても不完全な印象になりません。曲集を1冊買って、そのうち2〜3曲を数年かけて仕上げていく、という付き合い方ができます。
特性小品(キャラクターピース)=ソナタのように形式で組み立てるのではなく、ひとつの情景や気分を短い1曲で描くタイプのピアノ小品。19世紀ロマン派で数多く書かれ、曲集としてまとめられることが多い形式です。《四季》Op.37aはこの特性小品を12曲並べた曲集にあたります。
最初の1曲を選ぶなら、3月の《ひばりの歌》
12曲すべてが中級に分類されるとはいえ、そのなかにも難しさの幅があります。入口として扱いやすいのが3月の《ひばりの歌》です。曲集のなかでは弾きやすい部類に入り、音の数も抑えられているので、この作曲家の書き方に慣れる最初の1曲に向いています。
なぜ弾きやすいかというと、旋律と伴奏の役割分担がはっきりしているからです。右手が歌い、左手が支える構造が続くので、まず右手だけで旋律を歌えるところまで持っていき、そのあと左手を重ねる、という素直な手順が使えます。譜読みの段階で「どちらの手が主役か」を迷わずに済むのは大きな利点です。
逆に、この曲で音楽が平板になる人は、旋律を「弾いている」だけで「歌えていない」ことが多いです。テンポを落として声に出して歌ってみて、息継ぎの位置を鉛筆で楽譜に書き込む。そのうえで、その位置で指の力を抜く。これだけでフレーズの輪郭が出ます。
版によって、同じ曲の題名が変わることがある
《四季》の楽譜を探すときに知っておきたいのが、月の題名が版によって異なる点です。音楽之友社が2025年12月に刊行した版(ISBN 9784276415331、64頁、菊倍判)では、Victor Bunin監修・秋庭俊博編で、題名をロシア暦の原語表記に更新しています。具体的には2月を「Maslenitsa(マスレニッツァ)」、12月を「Svyatki(スヴャートキ)」と表記しています。
従来の日本語版で「謝肉祭」「クリスマス週間」などと訳されてきた曲が、原語名で並んでいるわけです。同じ曲を指しているのに題名が違うので、レッスンや発表会のプログラムで食い違いが起きることがあります。曲を特定するときは、題名だけでなくOp.37a-2、Op.37a-12のように作品番号の枝番まで併記すると確実です。
この版は作曲者の自筆譜を含む複数の資料に基づく校訂譜であることが、版元の解説に記されています。原典に近い形で読みたい人には選択肢になります。詳細は音楽之友社の商品ページで確認できます。
全音と音楽之友社、どちらを選ぶか
《四季》には長く読まれてきた全音楽譜出版社の版があります。1957年9月15日発行、68頁、菊倍判で、山根弥生子校訂・門馬直美解説、価格は税込1,540円(本体1,400円)です。日本語の解説が充実していて、指づかいの書き込みも学習者向けに整理されています。
一方、音楽之友社の版は64頁で、価格は1,870円程度。刊行が2025年12月と新しく、前述のとおり原語表記への更新と、複数資料に基づく校訂が特徴です。原典に忠実な譜面で読みたい、あるいは題名の由来まで含めて知りたい場合はこちらが向きます。
選び方の基準は「自分がどこで迷うか」です。運指の判断に自信がなく、日本語の解説を頼りにしたい段階なら学習者向けの校訂が入った版が助けになります。逆に、運指は自分で組み立てられるが編集者の解釈が入るのを避けたい段階なら、原典寄りの版が合います。どちらが優れているという話ではなく、いまの自分の判断材料を補ってくれるほうを選ぶ、という考え方です。
| 項目 | 全音楽譜出版社 | 音楽之友社 |
|---|---|---|
| 価格・頁数 | 税込1,540円(本体1,400円)/68頁 | 1,870円程度/64頁 |
| 発行時期 | 1957年9月15日 | 2025年12月 |
| 校訂・解説 | 山根弥生子校訂/門馬直美解説 | Victor Bunin監修/秋庭俊博編 |
| 題名の表記 | 従来の日本語表記 | ロシア暦の原語表記に更新(2月=Maslenitsa、12月=Svyatki) |
24曲の「こどものためのアルバム」が、大人の練習にも効く理由
1878年、シューマンの同名曲集に触発されて書かれた
《こどものためのアルバム》Op.39は1878年に作曲された、子ども向けの24曲集です。シューマンの同種の曲集に影響を受けて書かれたとされ、1曲ごとに題名がついています。「木馬遊び」や「バーバ・ヤガー(魔女)」といった具合で、題名が音楽の内容と直結しているため、表現の方向を考える手がかりになります。
音楽之友社の解説では、この曲集について「魅力的な題名を持つ24曲によって、チャイコフスキー独特の旋律と和声感覚を示しながら、楽しみながらピアノを学べる」という趣旨で紹介されています。教える仕事を12年続けた作曲家が、辞職した年に書いた曲集であることを思い出すと、この設計の意図が見えてきます。
大人の学習者がこの曲集を敬遠しがちなのは「子ども向け」という題名のせいですが、書かれている音楽は本人の様式そのものです。短い曲のなかに、この作曲家特有の内声の動きと転調が凝縮されています。大曲に入る前の準備教材として使う価値があります。
バイエル終了程度から取り組める
難易度の目安はバイエル終了程度とされています。全音楽譜出版社の版は40頁・菊倍判で税込1,100円、1966年2月15日発行の伊藤純編。音楽之友社の版は40頁・菊倍判で税込990円、2021年10月発行で、桐朋学園大学准教授パク・グリョンによる指導と西尾洋の解説がついた新版です。
どちらも40頁に24曲が収まっているので、1曲あたりは短いページ数です。ここが練習設計上の利点になります。1曲を仕上げる周期が短いので、「弾けるようになった」という区切りが頻繁に訪れる。中級の大曲だけを練習していると数か月間まったく完成に到達しないことがありますが、この曲集を並行して回すと、その空白を埋められます。
使い方としては、大曲の譜読みと並行して、この曲集から1曲だけ「今日で仕上げる曲」を選ぶ方法が現実的です。譜読みの負荷が低いので、練習時間の後半、集中力が落ちてきた時間帯にまわしても成立します。

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Op.39-16は2026年度ピティナの課題曲に指定されている
この曲集の位置づけを裏づける事実があります。2026年度のピティナ・ピアノコンペティションでは、B級ロマン部門の課題曲として《古いフランスの小さな歌》Op.39-16が指定されています。この楽譜は「こどものためのアルバム New Edition」または「ロマン派ピアノ小品集3」に収載されています。
コンクールの課題曲に選ばれるということは、その級の学習段階で扱うべき音楽的な要素がその曲に含まれていると、主催者が判断しているということです。短い曲でも、旋律の歌わせ方、和声の変化の聴き取り、テンポの一貫性といった評価対象が詰まっています。「子ども向けだから簡単」という見方が成り立たないことの、ひとつの根拠になります。
ただし課題曲は年度ごとに変わります。ここで挙げているのは2026年度時点の指定です。実際に参加を検討する場合は、その年度の要項で級区分と課題曲を確認してください。年度を確認しないまま前年の課題曲で準備を進めてしまう例は、毎年一定数あります。
24曲を「1冊」として消化する手順
24曲もあると、どこから手をつけるか迷います。順番どおりに1番から進める必要はありませんが、無作為に選ぶと難易度が飛んで挫折します。おすすめの進め方は、題名を手がかりに性格の違う曲を3曲選び、同時に譜読みを始める方法です。速い曲・歌う曲・和音中心の曲を1曲ずつ選べば、練習内容が偏りません。
1曲を仕上げる基準は、完璧さではなく「止まらずに最後まで通せて、旋律が歌えていること」に置いてください。この曲集は完成度を極限まで上げるための教材ではなく、様式に慣れるための教材です。8割の完成度で次に進み、数か月後に戻ってくると、そのときの自分の変化が測れます。
ピョートル チャイコフスキー作曲の作品を選ぶ、3つの判断軸
手の大きさと、和音の広がりを先に確認する
この作曲家の作品を選ぶとき、最初に確認すべきは音符の細かさではなく、和音がどれだけ広がっているかです。旋律を厚い和音で支える書き方が多いため、同じ「中級」でも、手が届くかどうかで体感難易度が変わります。楽譜を開いたら、まず左手の和音を目で追って、実際に鍵盤の上で押さえてみてください。
届かない和音があった場合、そこで諦める必要はありません。分散させて弾く、下の音を短く切って上の音を残す、といった処理は実際の演奏でも使われます。ただし、その処理を自分で判断できる段階かどうかは別の問題です。判断に迷うなら、和音の広がりが控えめな曲、たとえば《こどものためのアルバム》Op.39の曲から入るほうが遠回りになりません。
なお、手が小さいこと自体は選曲の制約にはなっても、上達の制約にはなりません。届かない和音の処理法は技術として確立しているので、必要になった時点で学べば足ります。
練習に使える時間の総量から逆算する
2つ目の軸は時間です。《四季》の1曲と《こどものためのアルバム》の1曲では、仕上げるまでに必要な期間が大きく違います。仕事や家事の合間に練習している人が中級の12曲集に正面から取り組むと、1曲目の完成が見えないまま数か月が過ぎることがあります。
ここでの判断基準は「1曲が完成する周期が、自分のモチベーションの周期より短いかどうか」です。完成の実感が長期間得られないと、練習そのものが止まります。短い曲を回して手応えを確保しつつ、時間に余裕がある日だけ長い曲に取り組む、という二本立てが現実的です。
逆に、まとまった練習時間を確保できる環境なら、最初から《四季》の1曲に絞って取り組んだほうが、内声の扱いやペダルの精度は早く身につきます。どちらが正解ということはなく、生活の側から決めるべき項目です。
編曲版という選択肢を、正しく理解して使う
3つ目は編曲版の扱いです。原曲がオーケストラ作品や協奏曲でも、ピアノ独奏用の編曲版があれば弾くことはできます。全音楽譜出版社からは、ピアノ協奏曲第1番の全楽章をメドレー形式でピアノ独奏用に編曲した楽譜(12頁、轟千尋編曲、2023年3月15日発行)が刊行されています。
編曲版を使うことに後ろめたさを感じる必要はありません。オーケストラを伴う作品を、ピアノ1台で音楽として成立させるのが編曲の仕事です。ただし、編曲版を弾いたことは「原曲を弾いた」ことにはなりません。この区別だけは押さえておくと、発表会のプログラム表記などで齟齬が起きなくなります。
選ぶときは、編曲者名と対象レベル、そしてページ数を確認してください。同じ曲名でも編曲者が違えば難易度も音の数も変わります。全音楽譜出版社の商品ページのように、版元のページには編曲者と仕様が明記されています。

「有名な曲を1曲、弾けるようになりたい」。ピアノを始めた人、あるいは何年かぶりに再開した人が最初に思うことは、たいていこれです。ところが実際に楽譜を開いてみると…
独学で止まりやすい3か所と、楽譜選びで確認したい項目
旋律だけを大きくして、内声が濁る
2つ目の失敗パターンです。この作曲家の作品は旋律が明快なので、つい右手の上の音だけを大きく弾いてしまいます。ところが実際の楽譜では、旋律の下に別の声部が動いていることが多く、そこを均等な音量で弾くと和声が濁ります。録音と自分の演奏を比べて「なんとなく汚い」と感じるとき、原因の多くはここにあります。
原因は耳ではなく、指の使い分けです。同じ手のなかで、旋律を担当する指だけ深く、内声を担当する指は浅く鍵盤に入れる必要があります。これは音量の問題であると同時に、指ごとの独立の問題でもあります。
対策は、内声だけを取り出して弾いてみることです。旋律を止めて、内声の動きだけを追う。何の和音がどう変化しているかを耳で把握してから両手に戻すと、無意識に音量のバランスが変わります。楽譜に和音の名前を書き込んでおくと、次に開いたときも再現できます。
テンポを先に上げて、フレーズが崩れる
もうひとつよくあるのが、テンポの扱いです。譜読みが一通り終わった段階で速度を上げにいくと、指は動いても音楽の輪郭が消えます。とくにこの作曲家の作品は、旋律が長く伸びるため、テンポが上がるとフレーズの息継ぎが省略されてしまいがちです。
なぜそうなるかというと、速く弾く練習は「指の運動」の練習であって「音楽の設計」の練習ではないからです。設計が定まる前に運動を固めると、あとから修正するほうが手間になります。テンポを上げるのは、フレーズの区切りとペダルの踏み替え位置が決まったあとの、最後の工程に置いてください。
判断の目安として、「歌いながら弾けるテンポかどうか」を使うと簡単です。声に出して旋律を歌えなくなった時点で、そのテンポは現時点の自分には速すぎます。歌える速さまで戻して、そこから少しずつ上げていくほうが結果的に近道になります。
楽譜は公式の販売元で買う
楽譜の入手についても触れておきます。チャイコフスキーの作品自体は著作権の保護期間を過ぎていますが、個々の楽譜には校訂者・編曲者・解説者の仕事が入っています。運指や解説を含む版面をコピーして配る、あるいはネット上の出所不明のスキャンを使う、といった行為は避けてください。
入手先としては、全音楽譜出版社や音楽之友社といった版元の公式サイト、あるいは楽譜専門の販売店が確実です。版元ページには校訂者・頁数・判型・ISBNが明記されているので、同名の別商品と取り違えるリスクも減ります。1曲だけ必要な場合は、公式のダウンロード販売サービスを使う方法もあります。
ここで支払っているのは「音符の代金」ではなく「その音符をどう読むかを整理した仕事の代金」だと考えると、版を選ぶ意味がはっきりします。実は、同じ曲でも版を変えると弾きやすさが変わるというのは、多くの学習者が後になって気づく事実です。
難易度表記は、出版社ごとに別の物差しだと考える
最後に注意点をひとつ。難易度の表記は出版社や団体ごとに独自の基準です。全音楽譜出版社の難易度区分で中級とされる曲と、他社の教本での位置づけは、必ずしも一致しません。複数の資料を横に並べて「どれが正しいか」を決めようとすると、答えの出ない比較になります。
使い方としては、ひとつの物差しのなかで前後関係を見るのが正解です。全音の区分を使うなら全音のなかで、いま弾いている曲より上か下かを判断する。物差しをまたいだ瞬間に、数字の意味は失われます。
そのうえで、最終的な判断材料は自分の手です。難易度表記は当たりをつけるための道具であって、可否を決めるものではありません。気になる曲があれば、まず最初の数段だけ譜読みしてみる。そこで何に詰まったかがわかれば、その曲が今の自分に合っているかは表記を見るより早く判断できます。
演奏が濁る原因は、旋律の音量ではなく内声の扱いにあります。右手の上の音だけを追って全部の指を同じ深さで下ろすと、和声の変化が潰れます。内声だけを取り出して弾き、和音の変化を耳で確認してから両手に戻してください。
難易度表記は出版社ごとに別の物差しです。異なる出版社の級を横並びで比べるのではなく、ひとつの物差しのなかで前後関係を見てください。最終判断は、最初の数段を実際に譜読みしてみることで足ります。
まとめ:3層で整理すれば、次に開く楽譜が決まる
1840年に生まれ、53年の生涯のなかで作曲家として活動したのはおよそ30年。そのうちの12年近くを音楽院で理論を教えることに使っていた人物が、教える側の視点を持ったまま書いたのが24曲の《こどものためのアルバム》Op.39でした。子ども向けという題名に反して、2026年度のピティナ・ピアノコンペティションではB級ロマン部門の課題曲にOp.39-16が指定されています。大人の学習者が入口として使うのに、これ以上わかりやすい根拠はないでしょう。
最初の一歩として提案したいのは、曲を探すのをやめて、曲集を1冊決めることです。全音楽譜出版社の《こどものためのアルバム》は税込1,100円、音楽之友社の新版は990円。40頁に24曲が収まっているので、どの曲が自分の手に合うかを、実際に鍵盤で確かめながら選べます。名前で選んで挫折するより、1冊開いて手を動かすほうが確実に前に進みます。
なお、楽譜の価格・仕様およびコンクールの級区分と課題曲は変更されることがあります。購入や申し込みの前に、全音楽譜出版社や音楽之友社など各版元・主催者の公式ページで最新の情報をご確認ください。

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